UTA会セミナー風景


セミナー参加者の心の模様


 セミナー参加者へ一言04に答えて

 田池留吉の目の中に、アルバートの目を見ています。もうそこは肉で苦しんできた世界もみんな飲み込んでしまうような大きな温かなエネルギーの世界。
 田池留吉を捨てて、恐怖と不安で自分を狂わせてきたたくさんの自分が愛されている事を思い出し、ぬくもりに包まれて癒されていきます。
 あれほど泣き叫び荒れ狂っていた意識が消えていきます。その喜びがどんどんと心の奥からあふれ出てきます。過去世たちもアルバートを感じて熱い涙をあふれさせ、アルバートとひとつになっていくのを感じます。形は消えてもこの心、喜びの心は消えません。アルバートの実在を感じています。自分の心で感じたこの喜びは疑いようのない事実です。
 何よりも私が求めて求めてきたものです。この喜びを感じられる私はもう何もいりません。この喜びさえ感じられたら生きていける。アルバートを思い、アルバートを感じていける私はそれだけで幸せだった事がわかります。


 セミナー参加者への問いかけ04を読んで

 アルバートに心を向けるとき 信じきってもらってる自分と もういいよもういいよ。といってもらっているような 大きな優しさを感じます。私の心の中から ごめんなさい。ごめんなさい。田池留吉を捨てて足蹴にして 唾を吐いて 踏みつけにして 裏切りつづけてきたのに許してくれてる。何の迷いもなく そこに一欠けらの疑いも 責める心もなくて ただただ許して信じきってもらっている事を感じます。その思いに触れたとき 今まで荒れ狂っていた怒りも憎しみも 全部全部苦しかった。苦しかった。なんで苦しいかも分からんかった捨てたから。捨てつづけてきたからなんやと自分で自分を一番許せなかったと共に号泣しています。それを感じた時 いつもいつも自分がアルバートから田池留吉から心を離していることに気がつきました。自己供養は常に心の指針をアルバートに向けて田池留吉に向けていく事なのだと思いました。だから アルバートはいると思えます。この思いに触れたときに沸きあがってくるごめんなさい。苦しかった。素直に全てを吐き出せる そして もういいよ もういいよ 信じてるよ 信じてるよって 優しく背中を撫でてくれているような ああ 私は ここに帰ってきたかったのだと そして その中で 一杯一杯苦しい思いを吐き出して ずっとずっとそこにいたくなります。優しくしてもらう必要も 愛を欲しがることも 無かったのだと思います。未来の自分に心を向けるとき アルバートがいます。田池留吉だけれどアルバートがいます。反対にいかに 今まで自分が違うところに心を向けて必死になってきた愚かさが 浮き彫りになります。なんにも信じてなかった自分が見えます。信じてるふりをして 偉そうにしている自分がはっきりと分ります。そして 未来の自分に心を向けるとき アルバートを求めて求めて求めて求めて止まない自分がいます。だから 今 私は 自分と対話していこうと思います。アルバートに心を田池留吉に心を向けて この思いを沢山の自分自身に伝えていきたいと強く強く思いました。まだまだ信じる心は小さいです。けれど 自分と対話していく中で その信じる心を深めていきたいと思います。ごめんなさい。ずっとずっと足蹴にして 軽んじて来た私を許して下さい。けれどありがとう。ありがとう。こんなにもこんなにも信じて信じてその一片も疑わずに信じて信じて 優しく優しく 許しつづけてもらって ありがとう。


 03,04を読んで

 アルバートの目ではありませんが、田池留吉の存在がもうすでに来世のアルバートであると信じて疑わない私があります。田池留吉とアルバートが同時に存在している。そして4次元への流れが一本の道として、大きく大きく広がっている。言葉では表現できませんが、田池留吉の存在を通してその流れを強く感じます。未来の自分も共にあると感じます。その思いが確信として心にあります。


 どんどんどんどん自分の心から出てくる闇がすさまじくなってきます。

 どんどんどんどん自分の心から出てくる闇がすさまじくなってきます。正直言ってこれほどとは思わなかったというのが本音です。甘かったな、心をみているつもりだけだったのだなと感じています。ホームページを読んでいても、「すごい、ついていけない、こんな思い、心境になれるのか」と唖然とするばかりです。でもあきらめるとか落ち込むとか、そんな思いはありません。本当に人それぞれの道があり、約束事があり、自分の人生の目的を淡々とアルバートを心に歩んでいくだけでいいと思っています。自分自身の心の弱点というか、今世修正していこうと決めたことを自分なりにまっとうしていこう、そしてすべてがそのようにお膳立てされているような気がするのです。そんなとき心の中に温かくアルバートの存在を感じています。愛されている自分を強く感じます。そしてアルバートとともに歩んでいる自分、そしてそれが永遠に続いていくのだなと感じています。いついかなる時も、どんな時も、真っ黒な闇に悪戦苦闘している時でも、アルバートを心から決して放さない自分を信じていきたいと思っています。


 私は私の道を自分と対話しながら、アルバートへの信を強めたいと深く心に刻みました。

 HPを読んでいたら 四次元に移行した方の心の響きがありました。羨ましい 妬み 嫉妬が出ました。けれど ずっとその心をみていると優しい なんとも言えない優しい思いが伝わってきました。その思いは 核の人達に向けた時の思いと同じでした。
 一緒に帰っていこう。みんなで帰っていこう。信じていこう。許していこう。嬉しくなりました。そこにはもう 嫉妬とか 妬みとか そんなものは 消えてしまって ありがとう。ありがとう。ありがとう。それしかありませんでした。本当に書いてあるとおりだと思いました。なんと言う 素敵な仲間達と出会えたのかと思いました。優しさと ありがとう 信じていこう それしかありませんでした。嬉しかった。 私は私の道を自分と対話しながら アルバートへの信を強めたいと深く心に刻みました。ありがとう。みんなにありがとう。


 田池留吉の目は私にとって道標、心で感じる羅針盤。

 自分の現実が肉ではっきりと現れる。使っている心が今まで以上に浮き出してくる。3億6千年、いいえ、それ以上の長い時間使い続けてきた心が今はっきりと見えてくる。狂い続けた現実の私が現れる。肉で生きていくことの苦しさがどっと押し寄せ、喘ぎ喘ぎ息をしてきた自分なのだと嫌というほど思い知る。どれほど現実の自分を否定し、隠し、逃げてきたか...そのためにありとあらゆるエネルギーを求め使った。見たくなかった、認められない...この自分を...ああ、しかし田池留吉の目がそのすべてを明らかにした。あの目から隠れることも逃げることもできなかった。あの目に出会った瞬間、ほとばしりでる喜びが何なのか、やっとこの心でわかるようになった。同時になんと厳しい学びなんだろうと心を引き締めている。どれほど肉で努力をしても決して得られなかった幸せが、今私の目の前に広がっている。心を向けるだけで感じられるあの優しい世界が私が本当に住む世界、心の開放感と自由と無限に広がる宇宙...しかし肉を基本として生き続けた心が造った世界が、歴然として横たわっている。この現実を無視して私の未来はない。そう心で思う時、田池留吉の目が見える。そして限りない優しさで語りかけてくる。許して行くんですよ、自分を優しい思いで包むんですよ...誰がするのでもない、自分で自分を許し愛しそして共に歩んで行く...そこにまた大きな喜びが生まれて行く...これからの私はこの繰り返しを喜んでして行くだけ、ただひたすら心を見ていくだけ...そう思うと嬉しい思いが湧き上がる。自分の前に続く道がどんなに険しくとも、必ず喜びがある、険しければ険しいほど喜びも大きい、そう確信する私がある。自分の現実を垣間見て、生易しいものではないと感じる。しかし恐怖も不安もない、きっと帰れる、きっと帰れる...喜んで受け容れられる自分があることを未来の私が伝えてくる。田池留吉の目は私にとって道標、心で感じる羅針盤。ただただ素直に従っていきたいです。


 本当になんとすばらしい仲間たちと学んでいるのだろうと嬉しくなります。

 本当になんとすばらしい仲間たちと学んでいるのだろうと嬉しくなります。アルバートへ帰っていこう、4次元めざして、そしてその先へと同じ方向を目指して志を同じくする仲間たち。意識の転回の進み具合も、感じている世界も確かに違うと思います。でも喜びは一人一人のものです。嫉妬、羨望などの肉の思いを持っていては決して感じることのできない波動を感じるとき、意識の流れということを強く感じています。核という存在に対しても特別という思いを強く持ちがちになります、でもそれも間違いだということに気づき始めました。特別を作りたい自分の心、そしてそれに自分がなりたい心、いろいろな思いを見ながら、淡々と自分の道を進むだけです。同じ方向を目指している仲間が、こんなにたくさんいるということが嬉しいのです。まず一人がめざめ、そして一人一人がめざめていったとき、それがどんなに大きなエネルギーになるか、わくわくするほどです。半年前にはチンプンカンプンだったことが、今ではそうだそのとおりだと感じられる心模様に変化してきたことが、どんなにすばらしいことなのか、とても軽く見ていたと感じています。どれほどの大きな愛の中に育てられていたか、ただただありがとうしかありません。


 田池留吉の姿にアルバートを感じながら、必ず未来へつなげていきます。そして4次元へ、そのために今があり、このときをもっと大切に生きていきたいと思っています。

 アルバートを信じ、アルバートの波動を心で知った人はとても強く、そしてまっすぐに自分の前に開かれた道を歩みつづけていくでしょう。他力の思いの残る人は、肉そのもので人の言葉に惑わされたり心を揺らしたり、挙句のはてに自分の立っている場を見失ってしまう、そんな感じがします。
 自分を意識だと信じる信が深まっていくほど、今まで霧の中にあったものが、心で少しずつ感じられてくる、そしてそれが真実なのだという確信がうまれてくる、その繰り返しを得ながらだんだんアルバートへの信がそして自分自身を信じる信が深まっていくように思います。自分の中に少しずつ芽生えてくる信を確認したときの喜びはひとしおです。15年以上も・・・という思いもありますが、でも3億6千年、まったく気づかなかったことを知ることができたこの15年はあっという間、田池留吉に出会えたからこそだと感じます。
 田池留吉の姿にアルバートを感じながら、必ず未来へつなげていきます、そして4次元へ、そのために今があり、このときをもっと大切に生きていきたいと思っています。


 今を大切に生きる、自分の足場をしっかりと見直して固めていく、それが基本だとつくづく感じています。

 今を大切に生きる、自分の足場をしっかりと見直して固めていく、それが基本だとつくづく感じています。セミナーでどれほど嬉しい体験をさせていただいても、自分の放置してきた足もとのぬかるみに足を取られてひっくり返る経験を何度も体験してきました。それがいや、自分が信じられないという思いをどれだけだしてきたかわかりません。
 この学びは苦しいなーという思いをどれだけだしてきたかわかりません。でもそんな学びの道筋を振り返り、今はすべて良かったのだと思えます。順調にはいかない道筋が私には必要でした。何度も落ちなければ自分が作り出してきた闇には気づけませんでした。頑固で剛情な己偉い私の鼻をへし折るには長い年月が必要でした。
 でもいつも変わらなかったのが、田池留吉の愛でした。肉で自分の心模様でさまざまな思いを出し続けてきました。それでも変わらなかったのが、田池留吉から流れる温かなやさしい思いでした。何よりもそれだけは信じられました。今、本当に幸せな場におかれている自分を感じます。未来の私が、そんな私を見つめています。今をしっかりと生きて今世の目的を果たして、未来へつなげていきます。アルバートとともに歩むために・・・


 自分が自分にしてやれることは、アルバートを信じ、アルバートの波動を感じ、アルバートとともに歩んでいく、それしかありません。

 すべて間違っていたのは私です。正しいことなどひとつもなかった。そこからが本当の出発です。本当に間違っていたと気づくことは喜びです。どれだけ自分を正当化し、責任転嫁をし、評価を求め、自分の優位性を主張してきたか、今さらながら自分の出してきた暗いエネルギーの大きさを思います。現実の自分を本当に知れば、たとえ人に何を言われようと、まさしくそのとおりですとしか言いようがありません。自分の闇、人の闇という区別はありません、すべてが自分の闇、いとおしむ思いがわいてきます。人類が長い年月を経てつくりだしてきた暗い心、すべて自分の心です。それがアルバートを目指して心の奥底からどんどん飛び出してきます。本当に長い年月待って待っていたんだなと、あらためて思います。自分が自分にしてやれること、アルバートを信じ、アルバートの波動を感じ、アルバートとともに歩んでいく、それしかありません。


 今までにまったくしたことのない心の体験でした。

 ホームページを見て瞑想しました。今日はなぜか、とてもとてもうれしいです。うれしい思いがたくさん心からわいてきます。なぜなのかは自分でもわかりません。
 ホームページを開いて、最初のページのタイトルから順に読み進むうち、ホームページに心を合わせていきたい、ホームページと心を一つにしていきたいという思いが湧いてきて、しみじみとうれしくなりました。
 昨日と今日新しく載せられた「己偉しのエネルギーが肉を動かし自分の道を歩き始めた結果、ようやく真実にふれることができました」と「田池留吉が肉持つこのとき私はどうしても肉が必要でした」を何回か読むうち、心が宇宙に向いて広がっていくようでした。その私の心の中の宇宙ではたくさんの存在が待っていてくれるような感じがしました。それが過去なのか、未来なのか、今の私にはまったくわかりませんでした。でも何か心のどこかでうれしい思いがありました。そしてアルバートを思うと、その宇宙にまっすぐに思いがのびていく感じがしました。
 今までにまったくしたことのない心の体験でした。肉の私が今までイメージしていた宇宙とは違いました。でも、本当に、何かうれしいうれしい感じがしました。


 今回のセミナーは数々の間違いに気づかせていただいた嬉しいセミナーでした。

 今回のセミナーは数々の間違いに気づかせていただいた嬉しいセミナーでした。自分をいかに愛せるか、心の宇宙を変えていけるか、アルバートを信じる信を自分の心に確立できるか、それだけでした。まだまだ田池留吉に認めてもらいたいという思いがあるゆえに、比較競争し、嫉妬、ねたみの思いで自分を苦しめ、そしてそれが簡単に消える思いではないことも感じてきました。ホームページひとつ読むことも本当に真剣に心を見つめる場だったのだと感じています。自分の心を見つめる、でる思いだけを真剣に見つめていく、それに徹底しようと思わせていただいたセミナーでした。
 母親の反省、他力の反省もまだまだです。心の中で、苦しいけれど絶対にアルバートなんか信じるかとへばりつき頑固にがんばっている闇が多々あることにも気づかせていただきました。アルバートを信じていきたい、でもときに肉に思いが向くその原因が、自分の立てた指針が大きく曲がっているためだということも納得できました。結局何ひとつまともなものはなかったという自分の現状をいやというほど知らされました。でも何かうれしいのです。自分に申し訳ない、これから本当に腰をすえて一つ一つ課題を乗り越えていこうと思えることが嬉しいです。


 UTA会セミナーが進めば進むほど、いかに母の温もりが原点かを思います。

 UTA会セミナーが進めば進むほど、いかに母の温もりが原点かを思います。母の温もりなくしてなにもありませんでした。今私はやっとこの心に灯った母の温もりを抱きしめています。母の子宮の中で感じていた思いがアルバートへの始まりでした。そして無限のアルバートの宇宙へと続いていきます。母から頂いた温もりから私の宇宙は始まっていました。この温もりに包まれている幸せを知ったときから、私のすべてが変わっていったと感じています。
 「お母さん」と素直に呼べるとき、私の心は真っ直ぐにアルバートに向いているのだと思います。嬉しい心のままに、あるがままを受け容れている自分がある。そしてその思いは本当の自分に向かってどんどん広がっていく。頭を使い知識を駆使して分かろうとしてきた自分がいかに愚かであったか...何もいらない、誰に聞くこともなかった、ただ素直にお母さんを思えば良かった...お母さん、田池留吉、アルバート...私の心の中で温もりが同心円のように広がっていきます。
 私が帰りたかった場所、それはお母さんのお腹の中、そしてアルバートの宇宙だったとやっと心で分からせて頂きました。


 心の中をのぞけばのぞく程に凄い心が見えてきます。

 心の中をのぞけばのぞく程に凄い心が見えてきます。日々使っている思いを、自分の心を見ていくことで今まで気づかなかった心の奥底にある塊の存在が見えてきます。肉が自分だと思う心が苦しさのあまりうめき声をあげている、愛されていることを拒否し続けてきた心の孤独、怒り、呪い、、、、心の中の地獄です。心を外に向けている時はアルバートでないアルバートに、他力の神に心を向けているんだと思いました。真剣に自分の心だけを見ていこう、自分の心と対話していこう、苦しい自分の心を供養していこう、私の心の中で苦しんでいる無数の過去世、未来の自分、共に、共にアルバートに戻っていこうね、そう思っている私の心の中が何とも言えない暖かな温もりに包まれていきます。私たちはこんなにも暖かな温もりの波動に包まれて存在している意識ですよと、そのことを自然は、動物達は、そしてアルバートは心に伝えてくれています。肉を持って田池留吉は心に伝えてくれています。心を見させてもらっている今を大切に、しっかりと自分の心を見つめていこうと思います。


 肉を持って、ほんのわずかでもアルバートの宇宙を感じさせていただいたことは奇跡なのだと感じています。

 肉を持って、ほんのわずかでもアルバートの宇宙を感じさせていただいたことは奇跡なのだと感じています。心のふるさと、アルバートの宇宙は何も存在しませんでした。温かなやさしい私を包み込むどこまでも限りない広い広がりでした。そこに存在することを感じただけで幸せで満ち足りていつまでもこうしていたいと感じさせるひと時でした。
 自分の作り上げた宇宙は重く、寂しくむなしく孤独でそこにはたくさんの過去世とUFO達がうごめいていました。なぜ私たちに気づいてくれない、私たちはこんなに求めて待っているのに冷たいやつだと訴えている存在を数多く感じました。私は少しは自己供養もやっているつもりだったのに・・・そんな思いがいかに傲慢か、己を知らなかったか、恥ずかしく情けない思いがしました。ごめんね、ごめんねという思いしかでてきませんでした。
 何が自分は間違っていない、自分は正しい、自分はできている、ましなほうだと、そんな思いばかりを振りまいてきた自分がいかに愚かか、やっと眼が覚めた感じがします。アルバートの宇宙を少しでも感じさせていただいたことで、自分の現実の世界を、闇の深淵をさらにはっきりと確認できたことはこれからの学びにきっと役立っていくでしょう。アルバートを信じ、アルバートの波動を感じ、少しでも自分自身に伝えられるよう、これからの道を歩んでいきます。


 私の宇宙に漂うUFOが、その苦しみ、悲しみ、さびしい孤独な心を語ってきます。

 私の宇宙に漂うUFOが、その苦しみ、悲しみ、さびしい孤独な心を語ってきます。科学の粋を集めても幸せにはならなかったことを。アルバートを捨てた心はまるで氷山の中に閉じ込められたような凍えてしまうような寒さだと。誘われるままにアルバートに心を向けた時、体は凍るような感覚なのに、心の中にほっとしたぬくもりを感じる。忘れ去っていた懐かしいぬくもりを感じる。忘れ去っていた母の心。帰りたい、帰りたい、ふるさとへ帰りたい。その思いが次第にやさしく自分を包んでいく。大きな間違いをしたのだと今やっと自分の非を認められる。私たちが宇宙を破壊してきた張本人だと。断末魔の叫びを上げながらのたうちまわるたくさんの仲間たち、今地球に肉を持つ田池留吉からアルバートの波動が余すところなく流れはじめ、多くのUFOたちがその波動を目指して集まっている。一人一人の心の中で大きく宇宙は変わろうとしている。私たちは待っていたのです、このときを。今肉持つ人々の心を通して、共に心のふるさとへ帰りましょうという思いが伝わってくる。やっとやっと私たちはアルバートへ帰る自分の道筋を暗黒の中に見つけることができた、奇跡です。捨て去ったアルバート、でも許されていた、愛されていた、アルバートを思えば心の中に温もりが広がります。この温もりを支えにこの温もりと共に歩んでいきたい。


 私は長い間、自分の行く手を邪魔するのは自分の過去世そして宇宙に垂れ流してきた真っ黒なエネルギーのせいだと思い込んできました。

 私は長い間、自分の行く手を邪魔するのは自分の過去世そして宇宙に垂れ流してきた真っ黒なエネルギーのせいだと思い込んできました。でも過去世達のUFO達の思いを聞くにつれ、誰でもないこの肉を持つ自分自身の肉の思い、私は肉だとする思いこそが、すべてを封じ込めてきたのだとつくづくと感じています。
 今世田池留吉に出会い、人間の本質が肉ではなく意識であることを始めて教えていただきました。少しずつ少しずつ自分の心の中でそれが確認されてくるにつれ、自分のこれから歩んでいく道がはっきりと見えてきます。今まで教えていただいたことが心の中でひとつひとつ繋がれて「本当にそうだ、そうだ」と小さな喜びが重なって大きく広がっていきます。
 田池留吉の存在がなければ何も始まらなかった、でも今田池留吉という存在があるゆえにすべてが始まる。田池留吉、アルバートとともに歩んでいけることがこの上もない喜びです。自分自身の宇宙をきっと変えていける、心のふるさとへ帰っていける、そう信じて意識の流れに心をゆだねて歩んでいきます。


 この地球上での3億6千年は狂いに狂った時間でした。

 この地球上での3億6千年は狂いに狂った時間でした。何度転生してもこの苦しみから逃れることはできませんでした。私は肉持ってこの苦しみを味わうことで、自分の宇宙に垂れ流した闇に気付かねばならなかったのです。宇宙時代からこの心に詰め込んだ凄まじいエネルギーを、苦しみを通して知って行かねばならなかったのです。
 今、自分の宇宙に心を向けると、暗黒星雲のような渦巻きがいくつもいくつも存在している。そのひとつひとつが地獄そのものを造っている。その空間を漂うたくさんのUFO。行き場を失い、自暴自棄な思いですべてを破壊し、諦めに似た寂しさを訴えてくる。すべては私自身です。しかし今、その中に一筋の安らぎが広がりつつあることをこの心に感じています。
 母から伝えられた温もりが田池留吉、アルバートへと広がり、忘れ捨て去った故郷、自分自身の故郷へと思いが広がります。帰りたい、アルバートの宇宙に帰りたいという強烈な思いが心の中を駆け巡る。それは私自身の思いでもありまたUFOの思いです。
 今私は改めて心を見るということの大切さを思っています。肉頂いたことへの感謝、苦しみを感じ己の心を見なければ決して分からない世界、肉から意識の自分への転回、そして果てしない未来へと続くアルバートの世界...ああ、苦しみが喜びに変わるのだという実感が、今を生かされる喜びになる。
 苦しくて当然、当然以上の世界を心に造ってきた私です。もう恐れず逃げず、私は苦しみと対面していきます。苦しみイコール喜び、この汚し切った宇宙を元のアルバートの宇宙に戻すまで、自分自身を信じる喜びを育み培ってまいります。


 自分は肉だとする重い心をぶら下げては、そして心の癖を放置したままでは、素直にアルバートの心に田池留吉の懐には飛び込めない、そのことを知りました。

 自分は肉だとする重い心をぶら下げては、そして心の癖を放置したままでは、素直にアルバートの心に田池留吉の懐には飛び込めない、そのことを知りました。赤子のような純真な心でなければアルバートの世界を本当に感じることはできないと感じました。
 今までの私はやはりどんなにごまかしても欲の心そのものだったと感じています。自分の宇宙に心を向ければ、寒風の中に吹きさらしになっているような冷たさを覚えます。次から次へと現れてくる闇に全身すっぽり埋まったような感覚を覚えます。あまりの闇のすごさにへなへなとなりそうになります。でも今までと違うことはそんな中にあっても、心の中に温かな温もり、やさしい思いを一握りでも感じていることです。これを信じていこうと思います。信じていけると思います。だからなんとなく厳しい中にあっても嬉しいのです。アルバートの暖かなまなざしを感じて心がなごむのです。3億6千年、それ以前の闇に素直に対面していきたいと思っています。気負うこともひるむこともなく。共にアルバートへ帰る信を培っていきたいと思っています。


 中の目を開いて田池先生の目を見ることを繰り返しているうちに、本当に視線の先に先生の目が見えるような感じがしました。

 ホームページを見て瞑想しました。ホームページを見る前に、パソコンで今回のセミナーの講話を聞き直したせいでしょうか、瞑想するとセミナー会場にいるような感覚になりました。そして、肉の自分にはなぜかわからずに涙が流れたり叫びが上がったりしました。でも、何かうれしい思いがありました。
 中の目を開いて田池先生の目を見ることを繰り返しているうちに、本当に視線の先に先生の目が見えるような感じがしました、そしてそこからあたたかいやさしいものが流れてくるのを感じました。お母さんのぬくもりでした。あったかかったです。うれしかったです。すぐに欲が出て、欲で先生の目を見たい見たいとなりがちなので、焦らずに淡々と瞑想を繰り返していこうと思いました。そして、自分も意識の流れに心を合わせていきたいと思いました。


 宇宙という言葉に、肉では想像がつかないスケールの大きさを感じていました。

 宇宙という言葉に、肉では想像がつかないスケールの大きさを感じていました。正直言ってどう心で捉えていいのか、最初は分かりませんでした。私が感じる心の宇宙がはっきり見えませんでした。
 その宇宙が私が心を見ていこうと思った時から、少しずつ変化が起きてきたように思います。
 心に思いを向けていった時、私の中ですべての意識が存在し、すべての意識が共に学ぼうとしている思いを感じました。私一人がの思いで心を汚してきた事が、私一人ではない、すべてを汚してきたと、すべての意識を葬ってきたと思いました。この宇宙すべてに存在する意識が、私の心に存在していたと感じた時、そのすべてを封じ込めてきたと思いました。心の宇宙の扉が開いたように思いました。
 たくさんの意識がアルバートに向かって歩き出します。破壊する事しかできなかった。宇宙に心を向けるなどとは・・・。自分とはまるで無関係な事のように思っていた宇宙が心で芽を出しました。忘れていた大切な思いを見つけたように、迷子になってさまよっていたUFOを見つけたように、みんなが喜んで集まってきたように嬉しくなりました。温かな思いに包まれて、みんなが一緒になってアルバートの宇宙に帰っていく。そんな思いで嬉しくなりました。


 我を認めよ、我は神なりと豪語してきた私の心の中に、本当のこと、真実はかけらもありませんでした。

 ホームページの「心に思うものは田池留吉、アルバートです。その他のものは何も必要ありません。」が、本当にやさしく私の心に響いてきました。瞑想すると、ありがとう、うれしいという思いが湧いてきました。
 田池留吉、アルバートを捨て、不必要なものばかり抱えきれないほど抱え込んで、苦しんで悩んで、どうしようもなくてやりきれなかった私の心が、癒されていくやさしさを感じました。同時にどうしようもなく苦しんできた私の心が、田池留吉、アルバートを捨てたことも気づかせてくれていました。
 我を認めよ、我は神なりと豪語してきた私の心の中に、本当のこと、真実はかけらもありませんでした。私はいつも、なぜこんなにも自分の心がぐらぐらと揺れるのか、自分で自分がわかりませんでした。でも今日瞑想をしていて、自分は本当の愛、本当のやさしさがわからないから、こんなにも人の間でぐらぐらして、自分が苦しむのだと気づきました。信念と呼べるもの、信じるものが希薄でした。まさに心は空っぽだったことにようやく気づきました。
 田池先生の目を思うと間違っていましたという思いが湧いてきました。長い長い転生の間、間違い続けてきたことが心に伝わってきました。恨みや憎しみのエネルギーを膨らませてきたこと、肉のための人生を送ってきたこと、母親のぬくもりを捨てたこと、たくさんの間違いが心から伝わってきました。ぼろぼろ涙がこぼれました。お母さんに生んでもらった意味を忘れ、お母さんなんかいらない、私一人でやっていけると、その思いを出したことがどれほどのことだったか、初めて心で気づけたようでした。そのことに気づけたとき、初めて田池先生の目が「お母さんのぬくもりを思い出しなさい、ただそれだけでいいんですよ」と伝えてくれているように感じられ、申し訳なくてうれしくて、ただただ泣けてきました。そしてだんだん心が広がって、やさしく軽くなっていきました。


 長い間教祖をしていたのだなと思います。

 長い間教祖をしていたのだなと思います。人の弱みに付け込んで自分の考えをおしつけ、あなたを幸せにしてあげらるのは私ですよと真っ暗なエネルギーを吹き込んでいたのです。やさしい声を出し、やさしい言葉を使い、肉の幸せこそ本当の幸せですよと吹き込んでいたのです。本当の幸せとは何かをわかるすべもなく、幸せを売り物にしていたのです。親の心のエゴを満たし自尊心をくすぐり、親の喜ぶ顔を見て、私の力を見よと己を誇ってきたのです。何人の人を地獄に落としてきたでしょうか、何人の人の苦しみを上塗りしてきたでしょうか。過去流し続けた真っ黒なエネルギーを今世も流してきました。本当に間違っていた、後は言葉がありません。


 この心に蓄えた真っ黒いエネルギーは地球時間を遙かに超えた空間から続いている。

 この心に蓄えた真っ黒いエネルギーは地球時間を遥かに超えた空間から続いている。アルバートの存在を決して認めるなという思いが遠い宇宙から続いている。アルバートに対抗し、アルバートを超えた世界を造り上げるのだ、素晴らしい宇宙を造るのだ...そう豪語してきたエネルギーが心の中に充満している。そしてそのエネルギーのままに地獄の底を這いずる3億6千年が過ぎ去った。どんなに己を誇り力を豪語しアルバートを無視しようとしても、心の中を吹き荒ぶ寂しさと後ろめたい思いは消えなかった。今、アルバートの波動に目覚めるということがどういうことなのか、自分の心の宇宙を通してしっかりと感じています。もう真っ直ぐに田池留吉の目を見れないくらいです。それでもあの目に出会いたい、見つめられれば見つめられるほど心が素直になっていく。田池留吉の目の中で己のすべてが露になり、どんどんアルバートの宇宙へと誘われることを喜んでいる。すべての思いがアルバートを目指して動き始めたことを感じています。目を閉じると感じられる世界がどんなに私を勇気づけてくれることか...自分を信じようとする思いがどんどん強くなり、それに伴って真っ暗な宇宙が変わっていくのを感じています。「よくもこの我に肉を着せたな」と恨み呪い憎んできた心の裏に、何としても肉を欲しがった自分が見える。今世、田池留吉と共に肉を持ちたいという悲願のような思いでした。来世、アルバートに出会うとき、私は自分の3億6千年をアルバートの目にぶつけます。心のすべてをアルバートの目にぶつけます。狂いに狂った自分のすべてを投げ出します。すべてを破壊しアルバートを抹殺し続けたエネルギーそのままをぶつけます。アルバートを信じ、自分自身を信じてアルバートにぶつかっていきます。その瞬間を思うと心が湧き上がるような喜びです。アルバートの目の中に私のすべてが溶け込んで行く。そしてその向こうに静かな中に果てしない安らぎが待っていることを、心のどこかで知っているのだと確信しています。田池留吉の目とアルバートの目が重なっている。私はただ素直にその目を目指して進んでいきます


 「私は宇宙から来た意識」ということばが心に飛び込んでくる。

 「私は宇宙から来た意識」ということばが心に飛び込んでくる。前から少しずつ感じていた思いが今はっきりとする。宇宙に向けての瞑想の中で、本当に暗黒の宇宙に漂う自分を見ます。その反面、どこまでも広がるアルバートと共にある自分も感じるのです。今までの私はまったく光のないまさに暗黒の宇宙に住み、破壊と闘争に明け暮れて、自分自身を捨て去った意識そのものでした。そのエネルギーのままこの地球上で3億6千年費やして来ました。そのすべてを背負い、今私がここに生かされている。心の奥から「帰りたい、本当の自分の宇宙に帰りたい」という叫びが聞こえ、それがだんだん近く感じます。愚かな肉にとらわれて、私は自分の心の叫びに耳を傾ける余裕もありませんでした。自分の現実を知る、それが苦しい宇宙時代の自分であっても、地獄にうずくまる自分であっても、私はアルバートと共に存在する自分を信じていきます。どんなに苦しくともアルバートを思い出し軌道修正していきます。本当は苦しみなんかなかったのに、苦しみにしてしまった自分を許したい。肉を越えた世界、心で感じられる果てしない世界を垣間見させていただいて、これが私の真実の世界、肉の田池留吉を通して教えていただいた世界こそ私が進みたかった世界だと、弾ける思いがあります。心をその方に向けると、軽やかに意識が飛び出します。心を見ることでどれほど自分の世界が広がるか...深い闇、暗黒の宇宙...そしてその自分を丸ごと包んでくれる大きな意識...心に静かに喜びが広がって行く。その向こうに未来の自分を感じる時、自分というものが何も分かっていない私だったと思うのです。でもその中身はやはり喜びです。


 UTA会セミナーがどんなに大きなセミナーか、自分の抱えている宇宙を見た時、しみじみ思います。

 UTA会セミナーがどんなに大きなセミナーか、自分の抱えている宇宙を見た時、しみじみ思います。私達はただ単に偶然集っているのではなかった、それぞれの心の宇宙をアルバートの宇宙に戻すため、みんな必死の思いで肉を頂いて来たんだと感じます。宇宙時代の到来、それは私が本当に待ち望んだ学びでした。この心に蓄えた膨大なマイナスのエネルギーをなんとか救いたい、暗黒の宇宙から自分を救いたい、それには今しかない、田池留吉が肉持った今しかない...それが今なんです。待って待って待ち望んだ時が今なんです。のらくらしている肉の自分に檄が飛びます。田池留吉に出会い、母の温もりを思いだし、アルバートに出会えた、それでお終いじゃないんだ、これからなんだ...これからが本番だよ...あの真っ暗な心の宇宙を受け容れて、アルバートと共に広がるもっともっと先があるんだよ...そう語ってくれる意識がある。田池留吉の存在がだんだん大きく見えて、私のもう分からない広さです。肉では決して分からない意識の無限さ、それなのに確実に存在する自分を感じます。意識の世界の深遠さ、遠大さを思い、今自分が学ばせて頂いてる場所の大きさに絶句します。母が約束通り生んでくれたから、今の私がある、そして田池留吉に出会えた。これから私の心に広がるこの暗い宇宙を愛して行きます。UTA会に集える幸せを自分の心に伝えて行きます。それがこれから私が未来にかけてして行かねばならないことなんです。真剣に学んで行きます。


 どこまでもどこまでもアルバートと共にある自分を感じさせていただきました。

 4,5,6...の瞑想の中で、どこまでもどこまでもアルバートと共にある自分を感じさせていただきました。だんだん広がる心の世界に自分を委ねる喜び...なにもいらないしなにもない、ただアルバートだけが存在する世界...その時心に響く喜びと温もりにもう言葉はありませんでした。ただただアルバートと共に存在する自分がたまらなく愛しく、心の底から「お母さん、ありがとう」と叫んでいました。今、自分の心にアルバートを信じる思いがどんどん大きくなるのを感じています。そして信じることが嬉しくてなりません。「アルバートと共に...」、この言葉がどんなに喜びか、しみじみ思っています。確かに私の心には果てしない闇が存在する。しかし私はアルバートと共にある意識、その広い世界が私の本当の世界、そう感じられ信じられることが嬉しいです。アルバートに心を向けもっともっと信を深めて行きたい。信を培う難しさをひしひしと感じる反面、心に少しづつ広がる信じる喜びを自分で確認しています。アルバートへの道は幸せの道、アルバートと共に歩く道は喜びの道...それはどこまでも続く道...より深く思わせていただきました。今まで以上に静かで暖かい思いが広がってきます。じっと思いをアルバートに向けると、心の底から「嬉しいです」という思いが沸きあがってくる。あんなに苦しく冷たく真っ暗で固く閉ざされていた私の宇宙が、だんだん融けて行くのを感じます。


 寂しいむなしい苦しい切ない、何をもってしても埋められない心の寂しさ、それがアルバートを捨てた心です。

 自分の地獄を見て苦しんでも、もうだめだと絶望感におそわれても、ただひとつ心の中にほんのわずかでもアルバートを思い求める心が存在すれば、おのずと道は開かれてくることを感じました。死後もきっとこんな状態が続くのだろうという、いやもっと苦しいかもしれない、でもその中にあってもアルバートを決して忘れない信をしっかり培っていこう、今その気持ちを強くしています。
 寂しいむなしい苦しい切ない、何をもってしても埋められない心の寂しさ、それがアルバートを捨てた心です。アルバートに心が合わない、波動をしっかりと感じられないということはとても苦しく悲しいものでした。何もわからなかった時ではなく田池留吉に出会い真実を教えていただき田池留吉のもとで学びながら、一瞬でも肉の思いを持って田池留吉に出すすさまじい波動は、すべて自分にはねかえり、自分を抹殺していくだけだということを知りました。心の中にアルバートの存在を感じられないほど不幸なことはありません。それほどむなしいものはありません。
 今少しずつアルバートを信じるということの意味が伝わってきます。田池留吉の肉の存在があるからこそ、今まで培ってきた他力の心、そしてアルバートに真っ向から刃向かう巨大な闇の存在が自分の心の中から現れてくる、そしてそれゆえにまた自分の心の中にあるアルバートを信じたいという思いも強くなっていく、そう感じています。


 ただもう自分の心の叫びに素直になっていこうと思いました。

 私には巫女の過去世が数多くあります。巫女あるいはそれに類するいわゆるチャネラ−の過去世をたくさんやってきました。今そのときの苦しくて暗い思いを語れることが嬉しいです。ようやくそのように思える私になれました。そのことがまた嬉しいです。
 巫女のときに使ってきた心が心の転回に大きなネックであり、また大きなステップであることを私は心を見ていく中で気付いていました。しかしその心を語るというか踏み込んで見ていく勇気がありませんでした。決して思い出したくないことだからでした。
 しかし学びを進めていく中で色々な心の体験を経てアルバ−トへの道がはっきりと自分の中で見え始めたとき、本当に自分の心の深部にある思いを解き放ち優しく包んでいくために私は今世の肉を頂いたことを痛切に感じました。
 ただもう自分の心の叫びに素直になっていこうと思いました。一番見たくなかった思いこそがその心の叫びこそがアルバ−トを真実求めている、だからこそその思いと出会うほどにアルバ−トの波動が優しい、優しい温もりが溢れるほどの温もりが心に伝わってきます。
 この波動を感じ田池留吉、アルバ−トとともに歩いていく意識であることをしっかりと感じさせてもらった今世、私はようやくその課題に取り組む時期を迎えたと思います。
 田池留吉が肉を持ったからアルバ−トの波動を知り得た、そしてアルバ−トを信じる信が大きく育ちつつあるから真向かいになれる、喜びが大きく膨らんできます。


 ほんとうの強さは、限りない優しさでありすべてを包み込む温もりだと感じます。

 ほんとうの強さは、限りない優しさでありすべてを包み込む温もりだと感じます。アルバートを信じる中で培われる強さは、喜びとなって心から流れ出るのだと感じます。目を閉じて今の自分を思う時、底無しの深海に素手で潜っていくような姿が浮かぶのです。この深い深い深海の底まで、私は喜びを伝えて行きます、自分が造った地獄の底まで必ずアルバートを伝えます...そう自分に誓っています。アルバートを信じる喜びが心にある限り何も怖くない、なにも恐れることはない、私はいつもアルバートと一緒...この思いが私を支えてくれる。自分をこれほどまで愛しく受け容れて行きたいと思ったことは今までありませんでした。その心は自分でも信じられないくらい優しいのに、ほんとうにしっかり強いのです。アルバートを離せばたちまち闇に飲み込まれ、それこそ自分が造った地獄に閉じ込められるでしょう。しかし今は闇の海の底まで潜りたい、この喜びの心でどこまでも潜りたい、そう思っています。


 HPを開く時、わくわくします。

 HPを開く時、わくわくします。嬉しい刺激をもらい、よし私も...と思うのです。読んでいるうちにいつしか意識が同通し共感を覚えることも度々です。こんなこと私には程遠いと感じていたことも自然と心で分からせてもらうこともあります。ゴムひもの話しの通り、いつも前を歩いてくれる友がいてくれるから、私はただ喜んで轍を辿るだけです。私にはその轍がはっきりと見えることが嬉しいです。ありがとう、ありがとう、そう感謝しながら歩くとき、いつしかアルバートへの道を共に歩んでいるのだと、一人歩く道だけれどやはり前を喜んで進んでいる友がいるのだと思えて、とても心丈夫になります。私も自分の前に広がる道を、アルバートへの道を淡々と歩いて行きたいです。


 下呂セミナーで感じたこと

 セミナーに参加して、一瞬、ほんの一瞬、私は自分と向き合った瞬間、アルバートが自分の中に実在していることを感じました。自分がアルバートだと思えた瞬間がありました。自分が喜びだったと、人生は喜びだったと、心の奥底から響いてきたとき、私の中の何かが一瞬に変わる体験をしました。渇いてからからだった、渇望していた心は一瞬にして満たされ、心の中は温もりで一杯になりました。
 喜びだった、私は喜びだった。自分が感じている喜びを私はただ信じていくだけでよかった、自分が喜びであることを信じて、そこが基準だったと思いました。コペルニクス的転回、そう心で感じました。私の基準が逆さまで、喜びでない自分が間違い。それが当たり前だと響いてきました。私がこの心で感じている思い、波動をただ信じればよかった。それだけでした。
 意識の世界があまりにも単純明快で、それを感じて驚きました。なぜ今まで私は自分が感じていたことを信じられなかったのかと思いました。自分が喜びであることをどれほど信じているのか、それだけでした。でも喜びを感じられたから、自分は素晴らしいとも、反省をしたからだとも思いませんでした。思いがけずその体験は突然やってきて、唖然としている私を包み込んでしまった、そんな感じでした。今まで先生が話されたことが一瞬で納得できました。問答無用で心に直接響いてきた、そんな感じでした。
 今まで人生の目的を見失い、のた打ち回っていた私でした。霧の中をさまよっている状態でのセミナー参加で、再び命を感じたと思いました。今はただ、たった一人の自分を救いたいと思います。この人生を自分のために生きたいと思います。やっと私の本当の姿は喜びだと確信をもてます。その自分に蘇るだけだと思います。
 誰とも比較することも、誰に認められる必要もないと心から思えます。そんな自分が嬉しい。母を思い、心の奥底に温もりを感じることのできる自分がただ嬉しい。そんな自分を喜んでいけばよかった。意識の世界は単純でした。そしてただ喜びでした。
 目を閉じて講話を聞きながら、私の目の前には250年後の私の姿が何度も浮かびました。まぶたを閉じて、中の目を開いて、そして静かに250年後の自分を思いました。250年後の私の思いがそのまま、今の肉の私の中に入ってきました。目を開けても、今の肉の私のまま、意識は250年後の私でした。250年後の私が今、現実に既に存在していることをはっきりとこんなに実感したのは初めてでした。そして250年後の私のまま、アルバートに心を向けました。250年後の未来が今、目の前に現実として広がっている、肉を持ってそれを体験したとき、何とも言えない思いでした。意識はもう先に進んでいる、そう思いました。


 「みんな250年後につないでいく意識です。心を真剣に見てください。」

 二日目の夜の先生のコメントは、とても厳しいものでした。寂しい心は情欲につながっていて、その意識が肉を通して田池留吉に向けられていることを知り、私はそんな苦しい自分を優しくて温かい本当の自分の心で包んでいきたいと思いました。
 アルバートの目を見る瞑想の時、アルバートと一つなんだと思いながらアルバートに心を向けました。やがて、塩川さんがアルバートの意識を伝えてくださいました。「皆250年後につないでいく意識です。心を真剣に見てください」と。それを心で聞いているとその喜びの波動は私の心に大きな喜びとなって響いてきました。そして田池留吉の「私はあなた、あなたは私ですよ」と伝えてくださった時、心は喜びではちきれんばかりでした。ふと気が付くと私はアルバートの前にいてその喜びを全身で表している感覚でした。確かに田池留吉の肉は私の前にあるのですが、心はアルバートだけでした。もう嬉しくて嬉しくてこの喜びをどう表現したらいいのか分からないくらいでした。喜びを胸の中に収めておくことが出来ないくらいでした。バーンとこの肉体が弾け飛んで、その後は心が大きくどこまでも広がっていくような感覚でした。そして私はアルバートにこの私の心を一生懸命語っているそんな感覚でした。
 本当に肉体は小さなものでした。そんなちっぽけな肉体に私は拘り、心を小さくしているのが現実の自分でした。広がる自分を少しだけ教えていただき、とても嬉しく勉強になりました。


 今回のセミナーは私にとってとても大きなセミナーでした。

 今回のセミナーは私にとってとても大きなセミナーでした。塩川さんのチャネリングに、アルバートを信じ切りラジオに徹する素晴らしさと喜びを感じさせていただきました。アルバートとひとつになりアルバートを伝え行く喜び...己一番のチャネラーがどんなに誇っても、到底分からぬ世界でした。小さな肉なのにあんなに大きなアルバートのエネルギーを流していける、心に染み込んでくるとても大きなエネルギーと共になんとも言えぬ優しさと力強さを感じ、アルバートを信じる強さの違いを目の当たりにした思いでした。
 「私はあなた、あなたは私」...田池留吉から発せられた言葉が私の心の奥の遠い遠い宇宙に届くのをしっかりと感じていました。果てしない宇宙の果てで何かが変わっていく。故郷のメロディーに誘われるように私の中で大きなうねりが始まった。瞑想の中でしっかりとアルバートの目を見ていた。私は田池留吉が肉持つとき、どうしても共に生まれたかった。そして必ず本当の自分に目覚めて参りますと誓いました。そのためには肉のどんな苦難をも受け容れきっと喜びに変えて参ります、来世も同じです、苦しみの中から私はアルバートと共に歩む自分に変わって参ります...自分の覚悟と言うか必死な思いが突き上がり、意識の流れに沿って生きていきたいと願う自分自身の声を聞いた思いでした。嬉しかったです。もうこれしかない、この道しかない、そう改めて自分に確認しました。アルバート一直線...この心の高鳴りが喜びを増幅させてくれる...捨てていきます、肉のすべてを捨てていきます。
 たくさんの仲間がいました、どの顔もどの顔も喜びに満ちて、田池留吉の下で出会えたことを喜び合い、そして共にアルバートの世界へと進みましょうと固く誓い合った仲間でした。嬉しい嬉しい...言葉なんかいらない、目と目が合うだけで喜びが弾ける。肉で反目し合い戦った相手がこんなに嬉しい仲間でした。心見せてくれる大切な友でした。ただただありがとう、あるがとうしかありませんでした。喜びの中で抱き合って異語で語り合うとき、すべてが喜びに変わっていく。よかったね、嬉しいね、約束通りまたみんなに出会えた、田池留吉を合言葉にきた私達...ああ私たちはひとつ喜びの意識、アルバートと共に歩む意識...何度も何度も心から喜びの叫びが上がりました。あふれんばかりの喜びの中で「一緒にアルバートに帰ろう」そう心がひとつになりました。


 ホームページを開くとまたあのセミナーの余韻が心に伝わってきます。

 ホームページを開くとまたあのセミナーの余韻が心に伝わってきます。自分がアルバートとまったく反対方向を向いていた間違いに気づかせていただいたこともうれしかった。そしてまたアルバートに心が向いた時に感じるなんとも言えない優しさ嬉しさ喜びもまた体験させていただきました。そして必ずこの道をあゆんでいこうという思いもまた強くなっていくことを感じ、今生かされていることの幸せを感じます。塩川さんのメッセージも衝撃でした。あれが本当のアルバートの波動、言葉ではなく、強く強く優しく心に響いて、さらに自分が間違ったことを繰り返してきたことを強く感じさせてくれるものでした。私はあなた、あなたは私ですの言葉に心がはじけとぶような感覚をおぼえました。何度か腰を浮かせながら飛んでいきたい気持ちを抑えるのに必死でした。私はこの波動だけを心の指針に、ただひたすらアルバートめざして歩んでいきたい、それだけでいい、それが一番の幸せと思いました。肉の些細なことなどもう結構、とらわれる心を本当にひとつひとつはずしていこうという思いを強くもちました。田池留吉のもとでアルバートめざして歩んでいく幸せ、そのすばらしい幸せに今やっと心の底から気づき始めた、そんな感じがします。だからどんなすさまじい闇が出てきても幸せです、喜びです。共にアルバートに帰っていこうと優しい温かな思いがもてることがとても嬉しいです。


セミナー参加者へ一言


 01 からどんな波動を感じていますか。核を見たとき、核のことを聞いたとき、どんな心が出てきますか。心をしっかり見てください。

 02 UTA会セミナー資料を毎日読んでいますか。読んでいるとどんな思いが出てきますか。

 03 あなたの心の中に未来の自分を感じていますか。それが現実となっていますか。

 04 アルバートを思い、アルバートを感じ、アルバートと共に生きていますか。肉の田池留吉の目を見たときアルバートの目を実感していますか。アルバートの実在を確信していますか。

 05 母親の温もりアルバートの波動、よろしいですか。

 06 毎日ホームページを‥‥。波動が伝わってきますか。アルバートの波動が分かるように‥‥。


自分を許していこう

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