朗読「母なる宇宙とともに」テキスト

1

はじめに

二〇〇七年に、『母なる宇宙とともにⅠ』、『母なる宇宙とともにⅡ』を出版させていただいてから、早いもので六年の年月が経ちました。
最近になって、ⅠとⅡを合本させてはどうかというお話をいただきましたので、私は、内容をより吟味させていただき、装いも新たにして、見知らぬ人達との出会いを楽しみに、合本という作業に取り組んだ次第です。

そもそも、この本の題名である「母なる宇宙」というのは、どこか遠くにある世界のお話ではありません。「母なる宇宙」というのは、私達みんなの本当のふるさとなんです。
私達人間は、生まれた場所、育った場所は千差万別であっても、本当に帰るべき場所はたった一つなんです。そうです。私達が帰るべき、いいえ、帰りたい場所は、たった一つだけなんです。
もちろん、その場所とは、この地球上のある特定の場所という意味ではありません。それでは一体、その場所とはどこにあるのでしょうか。

「実は、この場所を探し当てるために、私達はこれまでに気の遠くなるような長い、長い時を経てきました」と、このように私が申しましても、今、そうだ、そうだったとしっかりと頷いてくれる方は、まだまだ数少ないでしょう。
私はそれでもいいんです。自分の本当に帰るべき場所、帰りたかったふるさとに巡り合った私は、ただ自分の心が語るままに、一冊の本を送り出してやろうと思います。

私達はみんな自分の本当のふるさとを捨てました。つまり、私達はこれまでずっと、ずっと、帰るべきところが分からずに、彷徨い続けてきたと申し上げても決して言い過ぎではありません。
私達にはこれまで安住の地がありませんでした。だから、望郷、郷愁(ノスタルジー)という言葉がありますが、それらの言葉を通して、私達の心に響いてくる思いは、実は、あなたが今、感じておられるようなそんな薄っぺらな思いではないんです。
あなたの心の奥底の、底の、まだもっと底から突き上げてくるあなた自身の心の声があります。それは、「帰りたい。帰りたい。帰ろう。帰ろう。みんないっしょに帰ろう」という声にならない声です。
どうぞ、その声にならない声に心を傾けていってあげてください。一つ一つすくい上げていくことができるような、ご自分を取り戻していきましょう。
さあ、あなたも、そしてあなたも、ご自分の本当のふるさとを探求していきませんか。今は声にならない声であっても、それがあなたの中で、段々に大きくなっていくときが来るのは、そんなに遠くないと、私は本書を通してお伝えしたいと思っています。


1 母の心と宇宙

それでは、具体的に話を進めていきます。

今ここに、大阪府在住の一人の老人がいます。御年八十六歳。名前は田池留吉と言います。三十年近く前に大阪府立高等学校の校長職を退かれて以来、日本各地で数多くのセミナーを開催してこられました。セミナーの中で、「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマを、私達に示してくれた方です。
「日々の生活の中で、自分の心を見る」という実践を通して、そのテーマが、それぞれの心で感じ分かっていける方向に学んでくださいと、セミナーに集ってくる人達に、熱く語ってこられました。
このように説明すれば、一般的には、田池留吉という方は、セミナーに集ってくる人達にとって、師であり指導者であり、もっと宗教的な表現をすれば、教祖という立場となるでしょうか。そして、誰しもがその方から教えを乞いたいから、セミナーに集ってくるというのが、常識的なとらえ方だと思います。
しかし、このセミナーにおいては、そのような世の中の常識と大きくかけ離れた部分が露わになってくるんです。
その状態は、確かに形の上からは、常識を大きく逸脱しているかのように見えますが、先にあった「日々の生活の中で自分の心を見る」という実践を重ねていけば、きっとどなたもご自分の心で納得されるはずです。
それはどういうことなのかと言いますと、自分は、田池留吉氏から教えを乞うという柔な思いで、セミナーに集ってきたのではなくて、田池留吉を殺しに生まれてきて、そして、セミナーに集ってきたんだということが、自分の心でつぶさに感じてくるということなんです。
もちろん、自分の今抱えている悩み、苦しみを何とかしてほしいという他力信仰の続きで、セミナーに集って来られる方も少なくはないでしょう。
しかし、そういう方達は、ある程度時間が経ってくると、このセミナーでは自分達の思うような回答が得られないということで、いつしかその姿は消えていきます。そしてまた、あちらの宗教、こちらの宗教と、尋ね歩くんです。
結局のところ、田池留吉氏を、よくある宗教団体の教祖様、指導者という感じでとらえ、セミナーに集って来られただけの話です。つまり、その方達はセミナーに集ってきた動機が全く間違っていたんです。
動機の間違いは、もちろん、この他にもあります。
実は、その修正をしないで、セミナーに集い続けていても、それはセミナーに、そして、田池留吉氏にぶら下がっているだけで、田池留吉氏が示すところの「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマに沿った学びの成就は難しいことは確かなことなんですが、ここでその点を語ると、話がそれていきますので、一応、ここで話を戻します。

先の「自分は田池留吉氏から教えを乞うという柔な思いではなくて、田池留吉を殺しに生まれてきて、そして、セミナーに集ってきたということ」は、どういうことなのか、全く訳が分からないと言われる方もおられるでしょう。
その通りなんです。それは、あなたの頭では絶対に分からないことなんです。けれども、それは、段々にあなたの心で分かってきます。
その心の体験を、あなたもどうぞしてみてくださいということで、田池留吉氏は、文字通りその身体を張って、二十年余りの年月をかけて、誠心誠意、セミナーを開催し続けてくれました。
私自身、セミナーに参加させていただいて二十年です。その年月の中で、私は、田池留吉氏が伝えてくれた「私達人間は意識である、エネルギーである」ということを、自分の心で実証してきました。
それは、セミナー会場での実体験と、それと並行して起こった自分の身の周りの出来事の両面から、学ばせていただいたというわけです。

ところで、今、「自分は田池留吉を殺しに生まれてきた」と申しましたが、それは何も田池留吉氏を殺しに生まれてきたということではありません。それでは単なる殺人行為です。
私の本意は、この一文を通して、誰一人例外なく、私達の心、すなわち私達の意識の世界には、凄まじいエネルギーが渦巻いていることを、できるだけたくさんの人達に、自分の心で知っていただきたいというところにあります。
それは、そうしないと、私達のたった一つのふるさとである「母なる宇宙」に帰り着くことが叶わないからです。
まず、どなたも無知とエゴと欲で作り続けてきた凄まじいエネルギーで覆い尽くされている自分の現実を、心で知っていくことから始めなければならないんです。
しかしながら、それは、実は、おいそれとはできないことでもあります。だから、そのお手伝いということで、田池留吉氏がいました。セミナーの開催がありました。
自分の心を見て、そして、セミナーに参加していけば、私達はみんな、田池留吉氏という一人の人間を通して、自分の培ってきた、無知とエゴと欲の凄まじいエネルギーを、つぶさに感じていくことができるということでした。
それが、田池留吉氏が、今世、二十数年の長い年月を費やして、セミナーを開催してくれた大きな理由です。
もちろん、そのエネルギーは、あなた自身の心で感じられればお分かりになると思いますが、すべてを破壊していくエネルギーです。
そんなエネルギーを心に抱え、私達は日々の生活を送っています。
そんなエネルギーを心に抱え、人類は、政治、経済、文化、教育等々、あらゆる分野で、日夜奮闘しているのです。

そうです。先の「自分は、田池留吉を殺しに生まれてきた」という訳の分からない一文は、すべてを破壊していくエネルギーを抱えて生まれてきたのが自分達だという意味なんです。それを具体的に言えば、次のような感じです。田池留吉氏という一人の人間をセミナー会場で目にしたとき、私の心から噴き上がってくるもの、つまりエネルギーを言葉で表現すれば、こういうふうになります。

「ぶっ殺してやる、お前なんか消え失せろ、お前は目障りだ。」
「雑魚ども、どけ、あいつを殺すのは私だ、誰の力も要らぬ、田池、お前を殺してやる。」
「何が田池留吉の宇宙だ、何をぬかすか、ちゃんちゃらおかしいわ、我の宇宙こそ素晴らしい、我のパワーのほうが大きい、田池、死ね。」

断っておきますが、私と田池留吉氏の間に、現実的に何のトラブルもありませんでした。また、私が田池留吉氏から何か被害を被ったとか、そんなことも一切ありませんでした。
しかし、セミナー会場で氏の姿を見るとか、声を聞くとかすれば、私の心の中から、このような思いが噴き上がってくるのを、私は何度も体験させていただきました。
しかも、こういう体験は私一人だけではなく、セミナーに集ってきた多くの人達は、これまでに何度も同様の体験をされています。
この現象は、ある意味、とても不思議な現象だと思いませんか。
田池留吉氏と私にしても、あるいは田池留吉氏と誰それにしても、殆どみんな、セミナーを通して関わりあってきただけなのに、なぜ、その姿を見ただけで、声を聞いただけで、心から、それも、おぞましい真っ黒な思いが、突如として噴き出してくるのでしょうか。
私は、最初、不思議と驚きばかりでした。
しかし、やがて、その不思議と驚きの現象も、「私の地獄の釜の蓋が、今世開きました」と理解させていただくことで、不思議でも驚きでも何でもなくなりました。
確かにその現象は、田池留吉という一人の人間により、私の地獄の釜の蓋が大きく開き、白日のもとに引きずり出された衝撃を私に与えました。
最初、それが、私には悔しくて腹立たしくてたまりませんでした。まさに、腸が煮えくり返るほどの悔しさだけが、心の底から噴き上がってきたのでした。
しかし、今思えば、それが私の母なる宇宙へ帰る軌跡の始まりだったのです。


このように、私は、セミナーでの数え切れないほどの、特に今語ったような心の体験を経て、今世、ようやく、「私は間違ってきました。真っ黒な宇宙を広げてまいりました」ということを、本当に心で知ったのです。
だから、はっきりと言えるのです。
私達は誰一人例外なく、凄まじいエネギーを心に抱えていますと。
そして、こんな状態を野放しにしているから、巷では理解に苦しむ事件、事故等が多発してくるし、大きな規模の災害も起こってくるんですと。
そして、それは、決して他人事ではありません。私達の心の投影なんですと。

日々の生活の中で、自分の心を見ていくことによって、すなわち、自分自身の思いの世界を丹念に追っていくことによって、このことが自ずと分かってきます。自分の凄まじい思い、エネルギーを心で知っていけるのです。つまり、自分というものを知っていけるのです。
だから、どなたも自分の周りに、気に食わない人、そりが合わない人、そういう人を一人や二人、必ず用意しているはずです。
あなたの心の中をかき乱す嫌な人、その一言、その態度が何か心に引っかかる嫌な人があなたの周りにいて、その人達が、あなたの心からどんどんマイナスのエネルギーが噴き出すのを手伝ってくれるのです。
どなたもそういう人が自分の目の前にいれば、その人の言ったこと、したことに対して、心はその都度、反応していき、いわゆるマイナスのエネルギーは、際限なく噴き出していくはずです。
しかし、自分の心からエネルギーが噴き出しているなんていうことは、自分の心を見るということを実践していかなければ、到底分かることではありません。だから殆どの方は、マイナスのエネルギーを垂れ流すだけ垂れ流しているだけです。そして、いかにも善良な人間を装っているだけなんです。
地獄の釜の蓋が開いたということは、マイナスのエネルギーを垂れ流してきた自分の現実に、自分の心が触れたということです。それはある種の絶望かもしれません。
しかし、その絶望は単なる絶望ではありません。心を見るという習慣がついていれば、絶望だけで終わることはあり得ないんです。
なぜならば、自分の作ってきた凄まじいエネルギーを知っていけばいくほど、やがて、その凄まじいエネルギーを大きく包み込む温もりというか、喜びを感じていくからです。
しかも、それは、自分の外から感じられるものではなくて、自分の中から湧き起こってくると感じてきます。つまり、大きくて広くて温かくて優しい自分が自分を包み込んでいることを知っていくんです。
凄まじいエネルギーを出しているのも自分ならば、優しい思いであるとか、温もりであるとか、そのような、言ってみればプラスのエネルギーを出している自分も、確かにここにいることを感じてくるんです。
それは言い換えれば、本当の自分と出会っているということです。
そうなってくると、「人はなぜ生まれてくるのか」、「なぜ死んでいくのか」、そういったことも自然に分かってきます。
そして、肉体という形を持って、今ここに存在している意味を、本当に自分の心で感じ分かってくれば、この章のタイトルで示した「母の心」があなたの心に響いてくるはずなんです。

ところで、この「母の心」ということですが、自分達を意識、エネルギーだと知らずに、肉体という形が自分達の姿だと思い込んできた私達は、「母の心」とくれば、お腹に子供を宿し、そして、この世に誕生させ、大切に育てていく過程の中で感じる母性とか、母性愛を連想します。
しかしながら、ここで言う「母の心」は、それとは少し趣を異にします。
もちろん、「母の心」は、母性、母性愛にも通じていますが、そういうものを遥かに超えた世界というか、そういうものを包括した、もっと、もっと大きな広い世界だと思ってください。
それは、広さ、温かさ、喜び等々のスケールが全然違いますが、決して特別な世界ではありません。
確かに、今は殆どの人が忘れ去っていますが、誰もが心の奥底に眠らせています。
それを、私は、「母なる宇宙」という言葉で語らせていただきました。
私は、母性とか母性愛を大きく包み込む「母の心」は、私達のたった一つのふるさとである「母なる宇宙」という意識の世界、エネルギーと繋がっていることを、本書を通して語らせていただきたいと思っています。そして、どうぞ、あなた自身の心で、このことを証明してくださいということなんです。

「母なる宇宙」、そうです、「宇宙」です。
では、「宇宙」とは一体何でしょうか。「宇宙」という言葉から、私達は様々なことを連想します。
私自身、宇宙と思えば、私はこの地球に、どこかの星からやってきたという思いを、ずっと以前より感じてきました。
そのことを三次元的にとらえれば、何億光年の彼方から、宇宙船に乗ってという、さながらSF映画の中の一シーンを想像されて、未知なる宇宙への思いをかき立てられるかもしれません。
しかし、私が感じているのは、そのようなものではなく、次元を超えてきたという感覚なのです。
例えば、今のこの世界は、縦、横、高さの立体感がある三次元の世界ですが、その感覚でとらえる宇宙と、私が感じている宇宙は違っていると思います。
私が宇宙と言い、宇宙と思っている宇宙とは、太陽系の惑星云々の形の世界ではなく、波動の世界のことなんです。そうです。宇宙とは、エネルギーです。
その宇宙というエネルギーは、実は私達自身なんだ、私達は宇宙そのものなんだということを、それぞれの心で感じていただきたいというのが私の思いです。
そして、「母の心」と宇宙が繋がっていること、つまり、本来の宇宙のエネルギーは、母なる宇宙と繋がっていること、いいえ、一つであることを知っていきましょうということなんです。


宇宙に興味がある人もたくさんおられると思います。宇宙のパワーが大好きな人も多いのではないでしょうか。しかし、「母の心」を忘れ去った中で、宇宙に思いを向けていくことは大変危険です。
まず、「母の心」を感じていくことが一番大切なことだと分かってください。
確かに、宇宙という波動の世界、エネルギーは、私達にこれから大きな影響を与えていきます。だからこそ、自分達の中に本当の意味での母の温もりを蘇らせることが第一なんです。
「宇宙は遠くにあるものではありません。宇宙は自分達の心の中にあるのです。」
ということを心に留めて、ありふれた日常から、宇宙を感じていってほしい、宇宙を思うことをしていってほしいと思っています。
宇宙を感じること、宇宙を思うことは、母の思いを感じること、母を思っていくことなんだと知っていただきたいと思います。

ここで、宇宙というところから、今一度、私達の日常生活に視線を向けてみます。
私は、日々、目にするニュース、耳にするニュースを通して、次のようなことを感じています。あなたはどうでしょうか。

人は、みんな心の中に暗闇を抱えています。日々、目にしたり、耳にしたりするニュースは、そのことを示しています。身震いするような、目を覆い、耳を疑う事件が、次から次へと出現してきます。
色々な事が起こる中で、許せない、何でここまでするのか、怒りの矛先をどこへ向ければいいのか、その責任はどこにあるのかと、問題解決を叫ぶ人達も、実はそれが自分達の心の世界のことなのだということには、思いも及びません。
しかし、それが現実なのです。誰がではなく、また特定の特殊な人種がというものでもないと、私は思っています。
大切なもの、自分の原点を忘れ去った人間の心の中から出てくる闇の世界が、ある時には、弱い者いじめになったり、児童虐待になったり、その他、営利誘拐、児童買春、親殺し、子殺し、保険金殺人、おれおれ詐欺、霊感商法、詐欺商法、収賄贈賄、談合汚職、臓器売買、援助交際、集団暴行、麻薬密売に麻薬中毒等々、諸々の事件となって、毎日毎日、世間を騒がせています。しかし、それもほんの数日で、やがて、そのことは人の間から消えて、新たな事件へと世間の目は向けられていっているようです。
ただ、確かに、世間の人達にはそうであっても、その事件、事故等の当事者には、決して忘れられない記憶となって、心に残留していきます。
たとえ、加害者となった側を裁判にかけて、仮に極刑を言い渡されても、被害者側には、心の禍根として残ります。
被害者の人権を蹂躙した加害者が、堂々と人権を主張していく場合も往々にしてあり、心中は複雑でしょう。
一応は結審した事件等も、当事者達の心の中は、依然として、それらを引きずったままなのではないでしょうか。
一度、心に受けた衝撃は、大きな心の傷となって、それが完全に癒えることは、なかなか難しいでしょう。
そして、最終的に、お金によって決着をつけるということかもしれませんが、果たしてどうなのでしょうか。
お金に蠢く思いは、すごいエネルギーですから、お金を手にすることで、また新たな問題が起こってくることは充分あり得ます。しかし、お金によって決着をつける以外に方法がないというのが、今の世の中の悲しさでしょう。

一方、日々の生活の中では、熾烈な受験戦争や経済戦争が続いています。実際に武器弾薬が飛び交い、多くの人命が犠牲になっています。核の脅威にさらされている現実があります。最近では、ネット社会におけるサイバー攻撃等々があり、本当に、一つの家庭から世界中に至るまで、今や戦いのエネルギーが蔓延していることを感じます。
それを、人類は発展、進歩、繁栄と位置づけるのでしょうか。
戦争のない平和で明るい社会を作り上げていくために、人類は戦争を起こしていきます。あなたは、この矛盾をどのように思われますか。
確かに、時代の流れ、時の変遷により、人々の考え方も変わります。
社会との繋がりも、互いと互いの関係も、より複雑になっていくでしょう。その中で、互いが互いの立場を尊重し、理解し合いながら、互いに利益を追求していこう、人類の幸福と繁栄のために、充分に話し合いの場を持とう、知恵を出し合っていこう、ということかもしれませんが、本当のところどうなのでしょうか。果たして、そう、うまくいくのでしょうか。
世の中は、今、水面下で激しく動いています。その水面下の動きが、ポッ、ポッと頭を出していることが、様々な自然現象や人的現象に現れているのです。
もうすでに、その動きは始まり、いよいよ、これからだという時期に差し掛かっていると思います。これから、さらに世の中は混沌としていきます。事態は、もう、そういう局面を迎えています。
だからこそ、それぞれが心の奥底に眠っている「母の心」に触れていかなければならないんです。またこれから、そういう方向に流れていくだろうと、私は感じています。

次の項目で、このような世の中の流れを踏まえた上で、いくつかのテーマを出し、私の心に上がってくる思いを綴ってみました。
そのテーマについて、あなた自身がどのように感じ、また思っているかを、自分に問いかけてみてください。



2 10個のテーマを自分に問いかけてみましょう

① 生まれてくることとは

生まれてくることとは、どういうことでしょうか。
あなたは今、お母さんに産んでもらって、そこにいます。
あなたの誕生を誰よりも喜んでくれたお母さんを、あなたは知っています。
もちろん、お母さんのお腹から生まれてこれたことを、あなた自身も大変喜んでいた時があったのです。
お母さんのおっぱいを吸って、お母さんに抱かれて、ただ安らいでいた時が、どなたにもありました。今は、自分の力で生きてきたと自負している社会的に立派な人も、もとはと言えば、お母さんがいたからこそ、です。
しかし、その原点、言うなれば、自分の原点を殆どの人は忘れ去っています。そして、忘れ去るだけならまだしも、そのお母さんに対して、どれだけの思いを吐いてきたのかを自覚している人は、また皆無に近いかもしれません。
ただし、お母さんが原点だと言われても、そのお母さんというのは、あなたが日常的に接してきたお母さんのことを言っているのではありません。所謂、あなたのお母さんは、あなたと同様に、色々な癖もあり、愚かな部分も多々あります。また、大抵の母親は、あなたを、「私の子供だ、私が産み育てた大切な我が子だ」と称して、支配の思いや、牛耳るエネルギーを容赦なく出してきます。
もっとも、母親は決して、それが支配や牛耳るエネルギーだとは思っていません。「みんなあなたのためだ」と、そして、「それが母親の愛情だ」と思い込んでいるから、自分の中ではよしとしている部分があります。本当はそれが愚かなのですが、愚かだということが分からないのです。だから余計に始末が悪いのです。
しかし、そのこととは別に、お母さんから厳然として流れるものがあります。その愚かな母親の本当の思いに、あなた自身が本当に触れていったなら、あなたは間違いなく変わっていくと思います。
それは、あなたを我が所有物とみなしていく思いではなく、あなたをこの世に送り出せたことをただ喜び、ただただ、あなたの幸せを願っている思い、波動です。
あなたがどんなに罵詈雑言を吐き、無理難題を突きつけても、あなたは今許されているから、そこに存在しています。
あなた自身の頑張り、努力などで、今の地位、名誉、財産等々を築いてきたと本当に思っておられるなら、それはあなた自身があまりにも傲慢ではないでしょうか。
ただ、今すぐに傲慢だと認めることは難しいと思います。
しかし、いつの日にか、あなた自身に「はい、そうでした。私は傲慢でした。お母さん、申し訳ありませんでした」と、伝えてくれる自分に出会えると思います。
その時に、あなたは、お母さんから厳然として流れてくる思いに、ただただ涙、涙だと思います。
その時、あなたは、あなた自身の心で、日常目にしてきた母親でない母親の存在を知り、その存在から来る波動を感じていかれると思います。
何とも言えない温もりと安らぎを、感じられるだろうと思います。
そうなった時に、母の愛は無条件に自分を包んでくれていたことが喜びとして、心に広がっていくことでしょう。
まず、そのような母親の本当の思いに支えられて、どなたも生まれてくることができたことを、信じていってください。それが、自分自身の原点です。

ところで、子供は親を選べないということが、世間の通説としてあるようですが、本当はそうではありません。きちんと、あなたは、母親を選んできました。選んできたというよりも、お願いをしてきたのです。「私を産んでください」と願いを出したのです。
肉体というものを、どうしてもあなた自身が必要としたからです。お母さんに産んでもらうということは、自分に肉体をもらうということです。
みんな、そのようなことは、すっかり忘れ去っていきます。それは、ほぼ一〇〇%の確率です。
そして、そこの思いに立ち返るために、この世に産まれ出た瞬間から、様々な苦労が始まっていくのです。
しかも、原点を抜きにしているから、人生は重い荷物を背負って歩むものである、人生は苦であると、言い伝えられてきたことを信じてしまいます。鵜呑みにしていくのです。
この世には、間違って伝えられているものがたくさんありますが、私は、このことは、最大の過ちだと思っています。

生まれてくることは喜び、人生は喜びです。
皆さんは、子供の誕生を喜び、祝います。それは、誕生を喜ぶことによって、「これからの様々な出来事を通して、どうぞ、本当の自分自身に目覚めてください」というメッセージを、親も子も互いに確認しているからです。しかし、その人にとって、本当の誕生日とは、「私は、生まれてくることができたこと、それだけが喜びです。お母さん、ありがとう」、そう思えた時です。そこからが自分のスタートなのだと思います。
そのスタートラインに立たずして、本当のことは何も分からないと、私は今、そう思っています。



② 母親の存在を忘れ去りました

「私に肉体をください」、そう願って、その願い通りに、あなたは両親のDNAを受け継いだ細胞の一つ一つに支えられて、お母さんのお腹の中で、この世に出ることを喜びで待っていました。
お母さんの子宮の中で、お母さんの肉体細胞を通して、様々な影響を受けても、あなたは喜びいっぱいで、この世に出ていくその日を、今か今かと待っていたはずです。
しかし、たとえ、お母さんのお腹から出る前に、あるいは、出てからほんのしばらくして、その細胞達が動いてくれなくなったとしても、あなたは、きっと、「よかった、嬉しい、ありがとう」という思いを流すはずです。なぜならば、ほんのしばらくでも、お母さんのお腹にいたからです。安らいで何の不満もない、ただ喜びだけの時間と空間を、あなたは持ったからです。その時、あなたは、お母さんの温もりの中に包まれている自分自身を感じていました。母親の存在を、あなたは充分に感じることができたのです。
母親という存在が、自分を受け入れてくれた、この事実は、無事肉体をこの世に送り出すことができても、またできなくても、変わらずにありました。そのことを感じているあなたは、たとえ、この世に肉体を持って現れることはなくても、「お母さん、ありがとうございます」と告げて、お母さんのお腹から喜びで、姿を消していくのです。
産まれてくるはずの我が子を流産したり、また死産であったり、産まれてすぐに死んでしまったりして、嘆き悲しむのはむしろ、母親の側かもしれません。

私達は、このようにして、生まれてきたはずでしたが、生まれてくる意味も、母親の存在も、成長するにつれて、きれいさっぱり忘れていきます。それで自分の人生を生きていこうとしても、山あり谷ありの人生を自分の思う通りに、乗り切っていけるものではありません。
実は、山も谷も自分の計画でした。そして、どのように通過していくかも、自分で設定してきたはずでした。
しかし、肉体をもらうことを願ってきた思いを忘れ、自分で計画してきた環境だということも忘れ、
「私はこんなところに生まれてきたくなかった。」
「なぜ私を産んだのか。」
「なぜ私の母親は、あのような母親なのか。」
と、不足、不満の思いはみんな、目の前にいる母親を目掛けて攻撃していきます。
厳しい環境であればあるほど、攻撃の勢いは強いものです。
また、そうでなくて、例えば、人も羨むような恵まれた環境であっても、どこかに不足、不満を探し出しては、その思いを母親にぶつけていくのです。
そのようにして、どなたも、自分の目の前にいる母親に対して、自分の思いがストレートに飛び出ることを体験していきます。
「なぜ、母親には、自分の思いがストレートに出るのだろうか。」
不思議に思いませんか。
皆さん、小さな頃は、母親に対して、散々好き勝手なことを言ってきたのではありませんか。
しかし、母親は、甘えて、駄々をこねても、結局は自分を受け入れてくれたはずです。時には厳しかったり、叱られたりということもありますが、それも父親がそうするのとでは、どこかが違うことを感じていました。
それは、誰が教えるわけでもないけれど、みんなお母さんとはそういうものだと、心のどこかで知っているからだと思います。
そうです、へその緒が繋がっているのは母親です。
そして、へその緒を切ったその時から、母親の存在をみんな忘れ去っていくのだと思います。


③ 大人になり切れない大人

頭でっかちで、大人になり切れない大人が、うようよしていると思いませんか。
大人と一口に言っても、その定義が何であるのかということになりますが、要するに人間のレベルが低下している、幼稚だということでしょうか。
大人になり切れないというのは、子供のような無邪気さを残しているということではなくて、自己中心的で、身勝手で、自己主張には優れていても、その責任の所在をうやむやにしてしまう、そのような人だと思います。そのような人達が、会社で働き、また結婚して父親となり、母親となっていきます。
結果どうなるのか、それが今、日本の国一つを取り上げても、毎日毎日、世間を騒がせている事件、不祥事に現れてきていると思います。
たくさんの情報が溢れている世の中に、少子社会の流れが、どんどん大人になり切れない大人を量産していきます。身体と頭だけが成長し、心は未発達、まさにアンバランスの人間です。そのような人間が世の中に溢れていくのだと思います。
身体は、生活環境が豊かになり整ってくれば、自然に成長していきます。また頭のほうも、それなりに受験戦争をくぐり抜けてきていますから、鍛えられています。
しかし、心のほうはどうでしょうか。みんな心とは何かを知らないのではないでしょうか。

そもそも、心の世界は、宗教学者はもちろん、学問的なところから解き明かすことはできません。また、科学的な見地からも、心の世界を語ることなどできないのです。
確かに、単に嬉しい、悲しいなどという思いを語ることは、いくらでもできるでしょうし、心理学的に思いを分析することも可能かもしれません。しかし、思いを語っているからといって、心を語っていることにはならないし、その思いを分析して、それで心の世界というものが分かることにもなりません。
なぜならば、思いを語る人も、思いを分析する人も、心を形の世界から見ているからです。心は、心の世界にあることを、彼らは知らないのです。
結局、みんな心の世界を頭でとらえようとします。言葉、態度など形に表れているものに重点を置き、そこから心の世界を推し量り、または分析しようとします。
一応それで、一つの宗教書とか指導書とか呼ばれるものは、出来上がっていくと思います。この世に氾濫しているものは、その類のものです。
世の中は、今、その程度の情報を、いっぱい頭に詰め込んで、対処していこうとする風潮だと思います。しかも、周りには、大人になり切れていない大人がいっぱいです。
アンバランスな人間に、アンバランスな情報を与えて、よりいっそう世間を混乱させていく風潮のように思えて、仕方がありません。



④ 死んでいくこととは

死んでいくこととは、どういうことでしょうか。
生まれてきた人間は、必ず死んでいきます。不老不死の薬はありません。どなたも、やがて肉体が朽ち果てる時がやってきます。これは、みんな納得していただけると思います。
問題は、人は、生まれてから死んでいくまでの間に、本当に自分がすべきことを見つけたか、すなわち、自分の仕事を見つけたかということにあると思います。
これこそ我が天性の仕事だと、様々な分野で自分の情熱を傾けておられる方も、本当にそれが天性の仕事だと言い切れますか。
そのような仕事とは別に、もっと他に自分が成すべきものがあったのではないだろうか、やはり、そのようなことをふと思うのは、人生も晩年を迎えた頃でしょうか。
若くて血気盛んな時は、自分の能力を発揮できる場、チャンスに恵まれれば、大変有望な実りある人生だと、自己満足し、社会も評価します。当然、それなりの地位、名誉、財産、人望は得られるでしょう。
そして、そういう人が亡くなっていけば、一段も二段も高く、優れた人物像が描かれていき、いついつまでも語り継がれていくかもしれません。その人を知る人達の間では、ああだった、こうだったと、もてはやされて、語り継がれていくでしょう。やれ生誕祭だ、何とかの神様だとか言って、お祭り気分で浮かれていくことだと思います。
しかし、それは、現に生きている人達の側のことで、当の本人にしてみれば、その肉体を捨てた、すなわち、死の瞬間を迎えた時点で、そういった輝かしき栄光は、消え去っていきます。華やいだ雰囲気は、その人が肉体というものを身に纏っている時に限られます。
本人は、それどころではありません。肉体を脱ぎ捨てた瞬間に、そんな生前の華やかな雰囲気とは似ても似つかない、重苦しい世界を味わっていくからです。
呼べども叫べども、その重い苦しい重圧が覆いかぶさってくる。これが肉体を持っている間に、本当のことを知らずに存在してきた人間の実情です。
死んであの世から、自分の今の世界はこんな世界だと語ることはありません。語ることなどできないからです。天国に安らかに召されてなど、もってのほかです。

では、死んでいくことは苦しみなのでしょうか。なぜ苦しみなのでしょうか。
そもそも、私達は苦しいから生まれてきました。苦しみから自分を救い出そうと生まれてきたのです。その出発点を知らずに生き、そして、死んでいけば、死んでいくことは確かに苦しみに違いありません。
生まれてきた殆どの人は、人生の出発点を知るという自分の計画が、目の前の陽炎にうつつを抜かしている間に頓挫してしまいます。その人には、うつつを抜かしたつもりはないのかもしれません。また、精一杯人生を歩いてきたと思われるかもしれませんが、
「自分は苦しいから生まれてきた。」
「その苦しみから自分を解き放していこう。」
という自覚はなかったはずです。
さらに、殆どの人が、死ぬということは、すなわち、自分というものが消えてなくなると思っています。
自分の愛する家族も、やってきた仕事も、築いた財産も、その時点でみんななくなってしまう。いいえ、そのことより「死ねば自分はどうなってしまうのだろうか」と、自分というものがなくなってしまうことに、例えようもない恐怖があるのです。
そのような人に、自分の死を本当に喜びで迎え入れることなど、できるはずがありません。だから死んでいくことは、苦しみでしかないのです。
ましてや、病気になって肉体的な苦痛を伴いながら、自分の死を待つ日々は、苦しみでしかないと思います。
「死にたくない、死ぬのは怖い」、心の中ではそう思いながら、「どうせ自分はもうすぐ、この世からおさらばしていくのだ」と、自分に言い聞かせているだけではないでしょうか。
いくら自らを励ましても、刻一刻とその時は迫ってきます。
他力信仰をやってきた人達は、神のお導きを、仏のお慈悲をと、縋るような、祈るような思いを出し続けます。
また、常日頃は神、仏とは無縁な人であっても、なかなか心の中は大変だと思います。大変で当たり前です。その人達は、自分自身に冷たい仕打ちをしてきたからです。
自分はそんなことをした覚えはなくても、生まれてから死んでいくまでの間、苦しみから自分を何一つ救うことなく、苦しみを重ねていったに過ぎなかったなら、それは自分自身に冷たかったことになるのです。その残念無念さが、ただ心に満ち満ちている状態だと思います。
もっとも、このことは肉体を纏っている時には、自分自身ですら気付けないでしょう。自分の心の世界が大変な状態であることに、肉体生命が閉じる瞬間まで気付けない人が殆どだと思います。


⑤ 自分の亡骸

自分が死んだあと、自分の亡骸をどのようにしてほしいですか。盛大に弔ってほしいですか。手厚く葬ってほしいですか。祭壇の前で、最後のお別れを言ってほしいですか。そして、いつまでも自分のことを記憶に残しておいてほしいですか。
肉体細胞達の役目が終了する時、肉体細胞に「ありがとう」の思いを流しながら、その肉体から思いを離していったあとには、肉体という物体が残ります。私は、亡骸というのは、残骸に過ぎないと思っています。思いの抜けた残骸です。
その残骸の主は、すっと肉体から抜け出して、依然として生きているのです。私は、このような状態が、人間本来の姿だと感じています。
つまり、私達の本当の姿は意識であり、肉体が不必要になれば、いつまでもその肉体に留まっていないことを感じています。
しかし、大抵の人は、その肉体にしがみついているのです。それは、その人がその肉体を自分だと思い込んでしまっているからです。
肉体の消滅とともに、自分というものは消滅すると思っています。
だから、手厚く葬ってほしい、高僧名僧の導きで、あの世に行きたいと本気で思っているのです。そして、命日には、在りし日の自分を思い出してくださいと願うのです。
私は、自分の肉体細胞が活動している間に、その細胞達から優しい温かい思いを感じさせていただいています。
そして、その細胞達が、いよいよ「さようなら」を告げる時、私達は互いに、「ありがとうございました」と思いを通じ合えると信じています。
「さようなら、ありがとうございました」とお別れを告げ、すっとその肉体から離れていくことができるだろうと感じています。
私は亡骸とともにあるのではありません。亡骸はそこにあっても、私は意識として現存している。それが私自身だと感じているのです。
そのような心の状態ですので、肉体から思いを離したあとは、その亡骸を処分していただくだけです。そのお手数をおかけするだけだと思っています。その処分には、何ほどのお金も要らないと考えています。
人が死んだ後々まで、別れを惜しんで、ずっと悲しみを引きずっていくのは、情が深くて優しい人だからでしょうか。それでは情が深くて優しいとはどういうことでしょうか。
肉体がある間、互いに互いの心を見させてくれましたという思いから、ある一定の時間は、感慨深いものがあると思いますが、それは寂しい悲しい思いではなくて、喜びでその人を思う、そういうことだと思います。
その人の在りし日を思うならば、喜びで思ってください。


⑥ 転生

「人はなぜ生まれてくるのか、なぜ死んでいくのか」、それは難しい課題でした。
しかし、永遠の今を感じる心には、それらがすべて喜びの出来事であることが分かります。
生まれてくることも、死んでいくことも、みんな自分自身に目覚めていくためだったからです。
自分自身に目覚めるということは、大変な作業です。
生まれてくることも、死んでいくことも、苦しみだと思い続けてきたのは、その大変さを物語っていると思います。
だから、過去の修行者達は、転生輪廻から解脱することを考えたのです。転生とは苦しみ、その苦しみから解脱することが幸せへの道だと信じて、己の煩悩を滅却することに勤しんでいたと思います。それは、とんでもない思い違いであり、全くの無知でしかありません。
しかし、そのことは意識の転回を始めなければ、分からないことです。いくら厳しい修行を重ねても、意識の転回が自分の中で始まらない限り、永遠に地獄なのです。
ましてや、日々の生活に四苦八苦している中では、自分達の生活を守ることで、手一杯です。その中で何とか幸せに、豊かに、実りある時間をと、それぞれ懸命に生きているようですが、それがやがて音をなして崩れていく時が、やってくると言っているのです。
過去の時代においても、そうだったはずです。いつの時代においても、天変地異は付きものです。しかし、意識の転回をやってこなかった私達は、いつも呪いと恨みの中で、死んでいったのです。
そして、その意識の世界は、もちろんそのままで、また生まれてくるのだから、生も死も苦しみ、いつの間にかそれが定着してしまいました。
その中で、守ろうとします。死守します。肉にしがみつく思い、その執着はすごいものです。全部、周りに責任を転嫁していきます。事実、過去において、そうしてきました。
しかし、誰を恨んでも、何を呪っても、結局は自分自身が真っ暗な奥底に沈んでいっただけでした。そして、その真っ暗な奥底から、何度も何度も這い上がっていこうとするけれど、恨みの心や呪いの心で、また自らを沈めてきたのです。
優雅で華やかな時代に生まれてきても、意識の世界は真っ暗でした。一国を治める権力者であっても、路傍にひっそりと暮らす一介の民であっても、意識の世界はみんな真っ暗でした。
そして、真っ暗同士が近しい関係を持って、互いの真っ暗を見せ合うのが転生の数々でした。
おびただしいほどの人間ドラマを心に持ち、それでもまた生まれてくるのです。何度も何度も、自分を目覚めさせるチャンスをもらってくるのです。
世の中には、転生を信じている人も多くおられることでしょう。しかし、その人達もまた、それぞれの転生が、実は連結したものであることに、まだ気付けていないと思います。意識の転回をしないで、存在しているからです。



⑦ 自分を繋ぐとはどういうことでしょうか

自分を繋ぐとは、どういうことなのか分かりますか。
例えば、私は自分の来世に思いを向けると、「今世の肉を置いて、来世の肉を身に纏い、私達はともに生きていきます。肉という形の状態が変わっているだけで、私達には変わりはありません」という思いを感じます。この私の中で語っている私の存在を、今の私自身、感知することができます。
これは、私の過去世もそうです。その感覚が、私の中にはあるのです。
だから、私は過去から未来へと続いていく存在だと、自分自身をそう確信しています。

もう少し、私自身の思いを聞いてみましょう。
「自分を繋いできたのです。真っ暗な中を繋いできたんです。私にはそのことを感じることができます。
そして、私自身は今世の時間を迎えました。並々ならぬ決意を秘め、生まれてきました。
そして、さらに最終の肉へと繋いでいく途上にあります。
今は二五〇年後、二五〇年後は今。
この感覚の私は、嬉しくてありがたいです。
肉をもらうことがただ嬉しい。生まれてくることも死んでいくことも、自分自身に目覚めるためのものだった。この気付きは本当に大きな変化でした。」

苦しみの中で、息も絶え絶えの中で、自分自身がようやく辿り着いたもの、それは、「何もなくても幸せでした。私は喜びでした」という世界だったのです。
「自分自身が喜び」、そう私自身が、みんな伝えてくれていました。
私達は、誰一人例外なく、自分を繋いできました。本当の自分と出会いたい思いが、自分を繋いでいくのです。
エネルギーとして、もともと存在している私達は、その本当の自分と出会いたい思いを実現したくて、人間という形となって現れてきます。
その都度の形は違っても、中身は同じなのです。すなわち、エネルギーが肉体を持って、本当の自分と出会いたい思いを繋いでいくのです。
今世、私は、そのことをはっきりと心で知りました。


⑧ 憎いのはガン細胞ですか

私達は、肉体細胞に支えられています。その細胞に異変が起きて、それが肉体の存続を危うくしていく、言うなれば、私達にとって一番怖い病気が、ガンだと思います。
細胞が死滅し、損傷していくほどのエネルギーを流してきた。一言で言えばそうなのです。しかし、それはガン患者に限ったことではありません。ガンという病を得て、その人達はそこで、何かに気付いていくだけなのです。当の本人もそうですし、周りの家族もそのチャンスなのです。
しかし、大抵は、そのように受け取ることができません。死の恐怖と経済的な問題が、まずどなたの心にも浮かび上がってきます。
憎きものは、ガン細胞なのです。これがみんなを狂わせてしまった。だからこれさえなくなればと、医者も患者も、ガン細胞を潰しにかかります。
ガンと闘うとか、ガン撲滅とか、それぞれの心から流れ出すエネルギーは、凄まじいものです。
そのことに気が付いていけばということですが、ガンと闘う心には、自分のエネルギーを、ずっと受け続けてくれた我が細胞に対して、優しさの一欠けらもありません。
腐って機能しなくなった部位を切り取れば、また元気を取り戻すことができるでしょう。医学の技術は格段に進歩しました。薬もそうだと思います。部位は切り取ればそれで済むかもしれませんが、心のガンはなかなかやっかいなものです。
ガンと闘う心には、ガン細胞からの伝言は届きません。傷んで切り捨てられる細胞から流れ出す優しさに、出会えません。
私を救ってくださいと懇願する前に、切り捨てられる細胞に心を向けていく人がいてもおかしくはありません。
生命の灯火の消える間際でもいいです。
自分の心に伝わってくる優しさと温もりを、全部シャットアウトしてきた心の貧しさに、何とも言えない思いを感じていける人は、その瞬間、自分を救ったのだと思います。
そうなった時に、その人は、いたずらに長く生きることだけが人の幸せではないことを、心のどこかで感じるのではないでしょうか。
ガン細胞が教えてくれたものはこのことだったのか。ガン細胞から、その人も、そして周りの人達も、優しさの波動を感じていくことができたなら、幸せだと思います。



⑨ 絆

夫婦の絆、あるいは家族の絆は、何によって結びついているのでしょうか。絆とは、絶つことができない人と人の結びつきを言いますが、それも今では、あまりにも簡単に容易く切れてしまうのではないでしょうか。そうは思いたくはありませんが、案外もろいかもしれません。
夫婦バラバラ、家族バラバラ、そのような人達が、一つ屋根の下で生活をしている。互いが互いを干渉せずに、勝手気ままに自分達の生活空間を楽しんでいる。そういう夫婦や親子の形態が今風なのかもしれません。
そのような夫婦、家族の中に、例えば、ポーンと小石を投げ込んだとしてみましょう。
投げ込まれた小石の波紋は、そこにいる人達の心を刺激していきます。普段はバラバラでも、それを境に足並みを揃えようとする場合もあるし、余計に距離が開き、バラバラの状態がさらに進んでいく場合もあります。
小石が投げ入れられて、なぜこの夫なのか、妻なのか、なぜこの家族なのか、と改めて考える時があると思います。
答えなど出なくていいのかもしれません。出せなくていいのかもしれません。考える、思うだけでいいのかもしれません。
この夫があっての私、この妻があっての自分、私にはこんなにいい家族がいるではないか。小石が投げ入れられて、そう思えるならば、「小石さん、ありがとう」となりませんか。
「その小石とは何か」、「小石を投げ入れられて起こる波紋とは何だろうか」、夫から、妻から、家族から、その繋がりを通して、自分の人生を考え、今があることに幸せや喜びを感じていくことができたなら、その人は、一歩前進だと思います。
そのようにして、人は何かに気付いていくようになっています。
だから、今回、小石で気付けないなら、次はもう少し大きな石になり、その次はと続いていくと思います。
そして、やがて、そのような中で、この夫がいてくれたから、この妻が、この家族がいてくれたから、という思いが、いつの間にか薄くなって、もっと深い絆を感じていくかもしれません。
「夫、妻、家族というものではない、自分とのもっと深い、絶つことができない結びつきがあるのではないか。」
そう感じ始めてくるかもしれません。


⑩ 一度きりの人生

「泣いて暮らしても一生、笑って暮らしても一生、同じ一生なら楽しく明るく豊かに暮らしていきましょう」、それも一理はあると思います。
しかし、表面だけを取り繕って、楽しく明るく豊かに暮らしても、それはいずれ剥げてきます。楽しく明るく豊かに暮らす中身の問題です。
一体何があれば、楽しく明るく豊かに暮らしていくことができるのでしょうか。
一度きりの人生だから、楽しまなくては損ですか。一度きりの人生だから、一生懸命生きていこうとしているのですか。それとも、一度きりの人生だから、刹那的に生きていきますか。
とりあえず、まあ頑張ってみようか、とりあえず今はこうしておこう、そうして、とりあえず毎日が過ぎ去っていくのかもしれません。

自分を繋いできたことを確認できた私は、人生というのは、プツンプツンと途切れているのではなくて、連続しているものだと思っています。
それが私の出発点です。
この出発点に立って、今の人生の時間を見てみれば、過去から未来へと続いていく私の時間の中の、一部分にしか過ぎないことが感じられます。
全体を視野に入れながら、ある一部分をとらえる場合と、その部分しかとらえていない場合とでは、当然その一部分に対する思いが違ってきます。
前者は、なるほど今世の時間は、全体から見れば一部分に過ぎないけれども、その一部分が、すなわち全体であって、一部分の変化は全体に影響を及ぼしていくことを感じます。
後者は、まさに人生一度きりの基準に立った見方です。部分だけをつかまえて、奮闘していくか、ただ流されていく人生だと思います。
永遠に続いていく自分の時間というふうに思うと、今という時の過ごし方もまた違ってくると思います。
一度、過去からの自分を思い、未来の自分に思いを馳せてみませんか。そして、今の自分を思ってみてください。
確かに、今ある生活は大切でしょう。自分や自分の周りにいる人達は大切な人かもしれません。
しかし、もっと何か、もっと広い自分の世界があることを感じられないでしょうか。
「自分をもっと待っていてくれるものがあるのではないか。」
「自分をもっと必要として待ってくれているものがあるのではないか。」
そういうものを感じませんか。
もっとも、一度きりの人生だと思っている人には、それは難しいことかもしれません。その人の思いの世界は、そこでストップするからです。
その人は今、自分が、行き止まりの狭い世界にいることを知りません。
考えてもみてください。
どんなに華やいだ時間であっても、その時間というものは、八十年そこそこでしょう。しかし、私は、永遠の時間を感じているのです。
そういうことを感じている人と、感じていない人との差は大きいものがあります。
そして、一度きりの人生だと思って、本当に自分を大切にして生きているのか、と言えば、決してそうではありません。自分に無責任だから、一度きりの人生だと思うのです。
一度きりの人生だと思っている人に、自分を大切にすることはできないと、私は思っていますが、あなた自身、どのように思っておられるでしょうか。


以上、10個の項目について、思いを語らせていただきました。
あなたも、これらの項目について、思いや感じているところをまとめてみませんか。そして、綴っていく中で、一つ注目していただきたいことがあります。
あなたの基準です。
なぜ自分はそのように思うのか。何かそう思い、感じていく基となるものがそれぞれにあるはずです。
何を思い、どう感じていくかということも大切ですが、同時に、なぜそう思うのかということに、もっとスポットを当てていただけたらと思います。



3 天変地異の足音

人にはそれぞれ、豊富な知識と、自らの体験をベースにした思いや考え方があると思います。一人の人間としての生き様も様々にあると思います。しかし、そのこととは別に、確実に私達の周りに変化が起こってきていることを、私はお伝えします。
今はまだそのことに気付いていない人達も、やがて、自分の目を通して、耳を通して、感じていかれることと思います。
一言で言えば、それは天変地異の足音です。
どんなに自分達を守ろうしても、根こそぎ崩れ去っていくことを、体験されていくでしょう。私は、その足音、気配をもう間近に感じています。

ここまで書いてきましたように、これから、宇宙というものが、私達に深く関わってきます。私達に大きな影響を与えていきます。宇宙は、決して非日常的なものではありません。

繰り返します。宇宙というのは、一言で言えば、波動の世界です。波動、すなわちエネルギーです。
エネルギーは仕事をします。母なる宇宙という真実の世界から流れる波動、エネルギーが起こす仕事とは何か。
それは「すべての意識達よ、目覚めなさい」という呼びかけ、揺さぶりです。
私達人類は、エネルギーです。エネルギーが肉という形を持って、この地球上に生存してまいりました。
そのエネルギーはどこから来るのか、その源とは何なのか、それを知るために、本当に数え切れない転生を繰り返してきたのです。
「自分の原点を知る。」
「自分の源を知る。」
それが今、宇宙という波動の世界に心を向けていくことで、自分の心で感じ、そして、それが信じられるまでに至ったということだと思います。

「私達は、永遠の過去から永遠の未来へと続く中に存在している意識、エネルギーである。」
ということを、まず、今世を皮切りに、そして、これからさらに、そのことを知っていく過程にあります。
その過程において、宇宙というものが大きく関わってくることを、ここにお伝えしたいと思います。
いよいよ、そして、さらにこの地球上に展開していく「天変地異の流れ」です。私は、嬉しくて仕方がありません。
なぜならば、私達が自らの間違いに気付いていくことができるように、自らをいざなっていることを感じるからです。
それは、自分達が「愛」そのものであることを物語っている動かぬ証拠です。私達自身が「愛」だからこそ、自らを誘導していくことができるのです。

私達は、過去からずっと、「母の心、母の温もり」を、心の中から葬り去ってきました。しかし、それは厳然として存在していたことを、自らの体験により気付いていく、そのような壮大な計画が用意されています。
一つの転生があれば、そこに様々な人生ドラマがあります。そうです、人生はドラマです。
しかし、ドラマをドラマとして見ることができずに、そのドラマに感情移入をして、結局は自分の人生の焦点をぼやかしてしまう結果となってきました。
ドラマはドラマであって、そのドラマに重点を置くのではなくて、ドラマを見ている自分の思い、心の世界を重視していくことが、人生の焦点でした。
その焦点が一つのポイントにしっかりと合ってくると、人生の本当の意味が分かり、人生は喜びであることも分かってきます。
天変地異もまた、人生の一つのドラマです。壮大なドラマです。
そのドラマから、何を見て取っていくのか。それをこれから、それぞれが学習していくのだろうと思います。
形の世界の中に留まっているところから、「自分を解き放していきなさい」。
その呼びかけ、揺さぶりを、これから、あなた自身は、どのようにとらえていくでしょうか。
「自分を解き放していこう。」
あなたの心は、そのように、反応していくでしょうか。
呼びかけや揺さぶりは、何度も続いていくと思います。自分を自分で解き放していくまで、それぞれの地獄は続いていくでしょう。地獄とはそういうことです。
従いまして、次章は、これから人類に目覚めを起こす天変地異を中心に構成していきます。
天変地異から流れる優しく力強い波動の世界を、どうぞ、感じていってください。
ただし、「母の心、母の温もり」を忘れ去った心の世界では、天変地異は恐怖以外の何物でもありません。
「宇宙を呪い、宇宙を憎み、宇宙に狂ってきた地獄から、必ず自分を解き放していこう」。どうぞ、今世、そのようにご決断ください。


第2章 天変地異

1 幕開け

人類の幕開けです。これから二五〇年に至る時間の中で、それを存分に感じていってください。
地球上に誕生し、そして、数々のドラマを繰り広げてきた意識達の目覚めを、私達宇宙は待ち続けてまいりました。
私達は、どれだけの凄まじいエネルギーを流し続けても、きっと必ず蘇り、目覚めてくることを約束してきたのです。
約束してきたから、今、自分自身ここに肉体を持っています。
肉という形を持って、自分の培ってきた意識の世界を知っていくことが、それぞれの至上命令でした。自分に課してきたものでした。
だから、自分を自分で裏切り続けてきた過去からの自分と、心で対面できた意識は、大変幸せだと思います。
そして、そのようなことが、これから、それぞれの心の世界、意識の世界の中で、如実に知っていくような流れがあります。
どんなに形の世界が本物だと叫び続けても、それは悉く崩れ去っていきます。一瞬のうちに、自分の目の前から、すべてのものが消え去っていくことを体験していくのです。
地球上のどこに逃げても、隠れても、天変地異の流れは、避けて通れないものです。地球という星そのものの存続も危ういものになるかもしれません。そのような衝撃を、これから人類が受けてまいります。
今世を境にして、意識の流れがはっきりと形となって顕在化していきます。
「確かに、真実に目覚めさせる流れというものが存在する。」
そのことが形として示されていくのでしょう。
今世は、そういう意味において、人類の幕開けだと、私は思っています。

2 異次元より

形の世界を本物とする三次元の世界から、真実は何もお伝えすることはできません。
「意識が本物であり、自分の本質は意識、エネルギーである」とする次元より、語らせていただきます。
従って、あなたの頭、いわゆる頭脳では、到底理解できないことも、私は承知しています。承知しながら、伝えるべきことは、伝えなければならない。これもまた意識の流れの一端だと、私は思うからです。
さて、私は、本来「言葉はパワー」だと感じています。
パワーには、プラスもあればマイナスもあります。私は、もちろんプラスのパワーを、言葉に乗せて流しています。
ただし、ここで発する言葉を、プラスのパワーとして、それぞれの心で感じていただくためには、まず、それぞれが「自分の心を見る」という基本を、しっかりと積み重ねていくことが必要です。
いたずらに言葉だけをとらえて、言葉遊びに終わらせてほしくないと思います。ましてや、頭で理解しようとしても、絶対にできないことを知ってください。
今世、私は、自分の心の中で、確実な体験を経てきました。
それは、私の肉、すなわち私の頭を通過させただけのものではなく、その衝撃は、しっかりと、自分の心がとらえています。
当然、一つ一つの言葉にパワーがあると思います。それは、確実な心の体験に裏打ちされたところから発する言葉だからです。
ただし、そのことを感じていただくためには、それ相当の準備が、お互いに必要ですということも、同時にお伝えしてきたつもりです。
肉の次元で、言葉をとらえ、「そんなバカなことがあるはずがない」と一蹴するならば、その心の中を、どうぞ、見ていってくださいと、何度も何度も繰り返し語ってまいりました。
実践するか、しないかは、それぞれの問題です。
実践していって、素直に心を向けていけば、ここでお伝えしていることなど、いとも簡単に心で頷けることばかりだと思います。
なぜならば、「私はあなた、あなたは私、一つの世界」が、本当に私達が存在している世界だからです。
どうぞ、これから、あなたがどのように存在していくのか、ご自分で決断していってください。
しかし、その選択と決断は、すべて必ず、自分自身に返ってきます。
返ってきた結果を、また潔く、ご自分で受け止めていってください。
自分から逃げずに、責任を自分以外に転嫁せずに、堂々と自分と向き合っていってください。それが人として本来あるべき道だと、私は思っています。

ところで、私は、この今の肉だけが私ではないことを、自分の中で感じています。
今のこの肉は、大変大切な肉です。それは、自分自身が真実の自分と出会うために、どうしても肉というものが、必要だったからという意味において、大切な肉だと思っています。
肉を持たなくては、つまり、お母さんに産んでいただかなくては、どなたも真実の自分と出会うことはできませんでした。
まず、肉を持つこと、これが第一条件でした。私は、自分の今世を振り返り、自分の心を振り返り、そのことを痛感してまいりました。
確かに、三次元の世界からは、真実の世界は見えてこないのですが、しかし、三次元という次元を通過することは、私達には必要なことでした。
肉という形を持つことによって、自分の培ってきた意識の世界、つまり、自分のエネルギーを自分の中で確認することが、一番自分達には分かり易いことだったからです。
自分を知るために、この世的なことはありました。それらは、すべて、自分達が用意してきたことばかりです。
私達は、たった一つの真実の世界である「母なる宇宙」へ帰りたいために、全部自分達で予定してきたのです。
そして、最終的な手段として、天変地異というエネルギーにより、自分達に目覚めを起こしていく計画を立ててきたのです。
その底にある思いは、ただただひたすらに、
「真実の自分と出会いたい。」
「あの喜びの、そして、温もりの宇宙へ帰りたい。」
その思いだけでした。
思い出してください、その心を蘇らせてくださいと、私は、一足早く、このようにお伝えしているだけです。
人類は、これまで、それぞれの肉を纏い、それぞれが我一番の宇宙を、心に広げてきた結果、素直ということがどういうことなのか、全く分からなくなりました。
そこへ道徳や倫理や慣習、習慣、規律、規則、その他様々なもので、自分達を縛り付けて、殆ど自由の利かない状態の中にいます。
人としての幸せの道を大義名分にして、結局は自分達だけの幸せと繁栄を願い、追求してきたのです。それが、これまでの人類の歴史でした。

私達は、もともと自由です。しかし、生命と財産を守るための法律によって、本来の人間としてのあり方が大きく歪められていることは、間違いのない事実です。
そもそも、人と人が戦争をして殺し合う世の中など、おかしいのです。正義を掲げて、どうして人を殺すことなどできるのでしょうか。しかし、現実は、正義の名のもとに人殺しが、平然と行われています。
では、その正義とは一体何なのでしょうか。結局、人類はみんな真実を見失ってしまった状態です。そのような状態の人類にとって、
「起死回生を促すものは、もう天変地異しかない。」
そのことは、これからたくさんの人々が、自分の体験を通して、また周りの状況から、それぞれが口にすることだと思います。
自分達の間違いの根本に思いが届くためには、人類は、すべてを目の前から失っていくという過酷な場面に、遭遇する必要があるのでしょう。
「すべてを失くしても、なお存在し続けるものがある。」
そこのところに到達するまで、これから幾度となく、天変地異がこの地球上に起こってくるだろうと思います。



3 宇宙からのメッセージの最たるものは、天変地異です

天変地異という流れは、決して避けて通れないものです。
それは、母なる宇宙の波動に触れた意識の目覚めがあったからです。
天変地異は、私達の中の宇宙が起こしていくものです。
だから、私達の中が目覚めていけばいくほど、その呼び声は力強いものになってきます。目覚めは喜びです。宇宙が喜びの渦の中で、今か今かのゴーサインを待っています。
その喜びが、どの程度のものであるかという一例に、地軸の傾きを変えていくほどのエネルギーと表現できるかもしれません。
それは、人智の及ぶ範囲を逸脱しています。何もかもすべてを捨てて、自分に委ねていくしかありません。
もちろん、自分に委ねていくといっても、今の形ある自分に委ねていくことではありません。そもそも、そのようなことができるはずはないのです。
肉というものは、一様にして愚かなものです。また、肉というのは形であり、形というものは、いずれ消えていくものです。消え去っていくものに委ねることはできません。
そうではなくて、消え去る形から思いを離し、自分は厳然として存在していることを心で知ったときに、委ねていくことができる自分というものが、大きく自分の中に広がっていきます。
すなわち、その広がりの中に、天変地異もまた同化していくのではないでしょうか。
すべてが一つとなって、次元移行をしていく瞬間だと思います。
宇宙とともに、喜びとともに、そして、天変地異とともに次元移行をしていきます。

4 天変地異はエネルギーです

一般的には、天変地異というのは、自然災害と考えられています。
地震、台風、ハリケーン、洪水、津波、干ばつ、大雪、竜巻、等々、みんな私達の生活を脅かすものです。
生活空間を奪い、人の命を奪い、不自由な生活を強いられます。私達にとっては、何一ついいことはありません。
また、特に最近は、記録的な豪雨や積雪、猛暑や、これまでに経験したことがないと口走るような自然現象が、日本の国においても起こってきています。しかし、それが何を示しているのだろうかと、気に留める人は少ないと思います。
地震にしても、頻繁に起こってくると、少々の揺れでは、あまり騒ぎ立てません。また、今日もどこかで地震が起こっているという程度に留めてしまいます。
「記録的な数字」「考えられないことが起きる」「頻繁に起きる」、それらはみんなある一定の方向を、私達に示しているのです。
それらは、これから起こってくる天変地異の前触れだと、私達に示しているのだと思います。
天変地異は、これからです。
日本でも世界各地においても、その兆しはすでに現れてきていますが、それは文字通り、「兆し」であり、天変地異のエネルギーは、その程度のものではありません。
さて、そこで問題となるのは、
「天変地異のエネルギーをどのように感じていくか。」
ということだと思います。
前述した通り、天変地異は私達から、生命と財産を奪っていくものです。情け容赦なく奪い取ってしまう天変地異を、どのように心は受け止めていくのでしょうか。
真実を知らない人(意識)は、やはり天変地異を呪っていくでしょう。
天を呪い、神を呪い、あるいは神の怒りに触れたと恐れおののいていくのだと思います。
実際、そのようにして、これまでに私達は、何度も繰り返し、生命を落としてきました。愛する家族も失ってきました。
形の世界を本物とするところから、どうして「天変地異は愛」などと思えるでしょうか。
願わくは、天変地異などに遭遇することなく、我が一生を平穏無事に過ごしていきたいと、誰しもが思っているはずです。
いくら、「天変地異は愛」と聞かされても、本音は、「天変地異に遭遇したくない」ということだと思います。

ところで、日本の国においても、様々な天変地異を想定して、色々な分野で研究は進められているし、過去のデーターをもとにして、あらゆる準備はなされているはずです。地域ごとの防災訓練も怠ることはないでしょう。
そして、どこかに災害が発生すれば、自衛隊もボランティア団体も駆けつけて、復旧に力を尽くしていますし、全国各地から、義援金や物資が届けられてきます。
もちろん、電気やガス、水道、道路の生活ラインの復旧もできるだけ速やかに行われていきます。その他、励ましの電話やメールもあるでしょうし、災害後の心のケアということについても、専門家達の協力があると思います。
そのようにして、まだ今は、人間にできることがあって、時間はかかるけれど、やがて、ほぼ元の状態に戻っていくことができる程度です。
しかし、そのような状態が、次から次へと、短い時間の中で、あちらでもこちらでも起こっていけば、どうなるのでしょうか。
救援を待っていても、なかなか思うようには来てくれないかもしれません。そのうちに、第二次、第三次被害が起こって、なす術もなく見殺しにしていく状態に追い込まれるかもしれません。もっと早くに救援の手が届いていたらという場合も、往々にして起こってくると思います。
また、ある地域、広範囲の地域が壊滅状態になって、一瞬のうちに死の町と化していく場合もあると思います。
確かに、日本の国は、戦後の悲惨な状況から見事に復興してきました。そして、時の流れとともに、日本国民皆中流意識から、今は、経済格差が著しくなってきています。富める者は富み、一方では生活困窮者の数もうなぎ上りです。さらに、その他、国の内外において、諸々の問題課題は山積しています。そのような現実の中ですが、一応は平和な時間を共有しています。
しかし、果たして、これから起こってくる天変地異により、この国の運命はいかなるものとなっていくのでしょうか。
戦後の廃墟から蘇ったように、これから、天変地異に幾度となく見舞われていく日本の国の再生はあるのでしょうか。
大変厳しいです。
それでも、その中においても、なお生き残った人達は、何とか生きていかなければなりません。
何もかも一気に失った状態で、心はもちろんズタズタです。平和ボケしてしまっている中で、何をどのようにしていけばいいのか。まさに、自分の地獄を、生きながらにして見ていくことになるでしょう。
悠長な心のケアなどで、ズタズタになった心の回復はできるはずがないといったところまで、心が落ち込んでいきます。
人間というものは、極限状態にまで自分を追い込んでいかない限り、自分と向き合うことはしません。
これまで、自分と向き合うことをせずに、神や仏や、宇宙のパワーなどと言って、目に見ない世界を自分の外に求めてきた愚かさを、今度こそ、極限状態の中で知っていくのでしょうか。
それが、天変地異と遭遇していくシナリオを、自分で書いた経緯です。
そうです。天変地異と遭遇するシナリオは、みんな自分で書いてきたものなのです。従って、天を呪い、神を恨んでも、どうなるものでもありませんでした。それが、これまでの私達には全く分からないことでした。

自分で書いたシナリオを自分で演じていく。すなわち、自作自演の舞台を通して、自分にメッセージを送ります。
「喜びに帰ろう。」
「温もりに帰ろう。」
そして、
「母なる宇宙に帰ってきなさい。」
という本当の自分からのメッセージを受け取っていきます。
偽物の自分にとっては、何一ついいことがない天変地異も、本当の自分と出会っていくために、必要な現象です。
天変地異から流れるエネルギーは、自分を目覚めさせる愛のエネルギーだと言えるのです。


5 UFO

人類は、これから未曾有の体験をしていきますが、そのことについて、UFOという存在も大きく関わってきます。
UFOについては、今の時点では、一部のSFファンか、そのあたりの人達の中においては、関心があると思いますが、広く一般には、まだまだ映画か小説の世界のことのように考えられています。
しかし、UFOは実在することを、ここでしっかりと語らせていただきたいと思います。
ただし、「UFO=宇宙人」という意味ではありません。
「UFO=宇宙人」という発想は、文字通り、映画や小説の世界の話です。ここで言うUFOとは、そうではありません。
宇宙人という発想からは、私達がお伝えしようとしているUFOは、間違ってとらえられてしまう恐れがあります。
だから、UFOが地球人を連れ去るとか、地球に攻撃してくるとか、あるいは逆に友好的な関係を求めてくるとか、それぞれの憶測の中で、想像の世界を膨らませていきます。いたずらに興味をそそっていく傾向にあるのだと思います。

ところで、あなたはミステリーサークルという言葉をどこかで見たり聞いたりしたことがありますか。
麦畑のような穀物畑の穂が、円形状(サークル)に倒されて、それが幾何学的な模様に見えるとかそういう現象です。そこには、必ずUFOが登場してきて、「それはUFOの仕業か?」という「?」付で紹介されています。
また、UFOと言えば、一般的には未確認飛行物体ということで、超常現象、怪奇現象として紹介されている映像もあります。
そこで、私は、それらの現象とか映像に意識を向けてみました。UFOの意識に心を向けてみます。
おそらく、私が心に感じていることをUFOの意識は語ってくると思います。

UFOとは、これまでに語っているように意識の世界のことです。
UFOには形がありません。「UFO=宇宙人」という発想からは、宇宙人、つまり、人だから、UFOというのは自分達人間のように、何か形を持っているという発想になるのが自然なことかと思います。
だから、地球人類ではない宇宙人ですね、そういう宇宙人が宇宙船に乗って、知らない間にこの地上に幾何学的な模様の奇妙な現象を残していった、そういうふうに、SF映画のような世界を想像しておられる方もいるでしょう。
しかし、あれは単なる自然発生的なものであると言えます。もちろん、そこには作為的な場合もあります。
いわゆる宇宙人というものは存在しません。映画の中のような宇宙人というものは存在しません。従って、そこに現れた現象、幾何学的な模様は、何かしら自然現象が起こった結果、そういうふうな形に見てとれる、あるいは、それを撮影した人達の作為という場合もあるのではないでしょうか。
とにかく、一部で伝えられている宇宙人が宇宙船に乗って、この地球上にそういうものを残していくというSF映画さながらのようなことは、現実にはあり得ないことです。
UFOというのは、形がないんですから、そういうものを形で残すということがあり得ないんです。しかし、現実、写真でも紹介されているように、奇妙な形がそこに残っています。しかし、やはりそれは自然発生的なもの、あるいは作為的なものと言えるでしょう。
いわゆるUFOというものが関係しているのでなくて、何かしら人間の作為的な行動と自然現象とが重なって出来上がったもの、そういうふうに考えるほうが自然です。

本当はそういうことはどうでもよくて、それよりも、そんな映像や写真の類に惑わされずに、UFOを心に思い描くあなたの心の中を見つめていくこと、そして、感じていくことが、とても大切なことなんです。
UFOはあなたの心の投影です。UFOは存在します。しかし、人類のように肉という形を持つUFOというものは存在しません。この点は、しっかりと押さえておいてください。
UFOは、意識、エネルギーです。UFOは、肉という形を持たない意識、エネルギーです。
その意識、エネルギーと心に通じ合う部分があなたの心の中にあります。その部分を、あなたの心の中をしっかりと見つめることによって、あなた自身がその意識、エネルギーに優しく語りかけられる。そういうあなたの心の成長のほうが、とても大切なことなんです。
UFOを見たとか、あの不思議な現象は何だとか、興味津々で思いを向けるだけでは、全くあなたの中は何も変わらず、何も分からないままです。
UFOの苦しみ、悲しみ、寂しさ、彷徨い続けてきた心、そのような意識の世界は、今のあなたと決して無縁なものではありません。だから、そういうものをしっかりと受け止められるあなたであってくださいということなんです。あなたの中の温もりとUFOの中の温もり、一つになってともに帰ろう、そういうふうな呼びかけをすることが、UFO達が望んでいることなんです。
心を中に向ける。外ではなく、心を中に向けて、UFOをあなたの中で呼んでいく。それがとても大切なことだと思います。
繰り返します。UFOとは、紛れもなく波動の世界のことです。形はありません。人類のように形を持っているのではありません。
しかし、そのUFO達が、つまり、宇宙に彷徨い続けている意識達が、これから人類の心に通信してきます。
今までもそのような波動というか、通信を受けて、宇宙からのメッセージであるとか、宇宙と交信しているとか、そのような類の話を聞かれた人もあると思います。しかし、果たして、そこでは、その通信や交信を波動としてとらえていたかどうかは、疑問です。
内容は、興味をそそるようなものであるかもしれませんが、その波動は、恐怖心を煽り立てるようなものだったり、あるいは、宇宙からのパワーに従えという我一番の波動だったりするかもしれません。
そのような波動の世界は、思いを向けていった人の心の中に「宇宙は偉大なるもの、宇宙のパワーこそ素晴らしい」といった宇宙にひれ伏す思いを、どんどんと膨らませていきます。特に、自分の心を見ることを知らない人が、UFOに思いを向けていけば、殆どの人がその中に、はまってしまいます。そして、宇宙のパワーにひれ伏しながら、己を表していくのです。なぜならば、自分の中に、我一番の宇宙がすでにあって、そのこととぴったりと合致していくからです。
そして、「私が心に受けている宇宙は、まさに神である」という思いが、その肉を使っていきます。その波動は、まさしくブラックパワーでしょう。
そこには母の波動である温もりと優しさ、安らぎが感じられないからです。しかし、その中にはまり込んでしまえば、そのことがなかなか分からないと思います。
だから、宇宙のパワーを求めてきた人は大変です。その呪縛から、自分を解き放していくことは、並大抵ではありません。大抵、顕示欲が強いのです。UFOを自分を表していく手段にしていこうとする思いが、根底に流れています。
そして、顕示欲が強ければ、UFOが語ってくるといっても、UFOの本当の思いを感じていくことはできないと思います。
UFOを受け入れていこうとする優しさよりも、UFOのことが知りたいという思いが強いからです。それでは、UFOの心と通じ合うことはできません。
心に受け入れることを拒否しながら、UFOと交信していきたいとすることが、どういうことなのか分かりますか。
それは、自分に対して冷たいのです。それが分かりますか。ここが、最も重要なポイントだと思います。
宇宙に彷徨うUFO達の意識は、みんな自分自身の心と通じています。しかし、その自覚がない人が多いのです。
そのことをおざなりにして、宇宙に、そして、UFOに思いを向けていけば、どういうふうになっていくかは歴然としています。受け入れを拒みながら、ただ欲で、あるいは興味本位で思いを向けていけば、自分自身が狂うだけです。
それはUFOが狂わせたのではなくて、狂う要素が自分の中に、すでにあった。つまり、自分に優しくないという証です。
このように、母の波動を心に復活しないまま、思いを向けていくことは、大変危険なことです。しかし、宇宙に彷徨う意識達は、受け入れてくれることを待っています。だから、これから、人類の心に、交信が頻繁に行われるだろうと思います。
UFOは、非日常のものではなく、私達の生活の中に、日常化してくると思います。
自分の心が受け入れるだけの準備をきちんとしていなければ、苦しいだけです。思いを向ければ向けるほど、苦しくてたまらないでしょう。
そういう意味において、これからの時代は、ますます訳の分からない事態が勃発していきます。奇怪な行動を起こす人が出てくると思います。その原因解明は無理です。もっとも、UFOの心を聞いてあげられる優しさがあれば、話は別ですが……。

再度、確認しておきます。UFOには、形はありません。波動、思い、エネルギーです。


6 手立ては一つ

人類には、
「自分を自分で救う。」
「自分に本当のことを伝える。」
その手立てしか残されていません。
自分で自分を救えない人々(意識)は、永遠に地獄です。救えないというのは、自分に本当のことが伝えられない状態を言います。
自分の本当の姿が分からない、自分が何者なのかが分からないから、自分に本当のことが伝えられないのです。
肉を纏っている間、どんなに栄耀栄華を極めようとも、自分が何者かが分からない状態では、その人は、現に地獄にいるのです。
肉というものを持っているから、そして、その世界に酔いしれているから、自分自身は麻痺した状態なのです。肉を外した時、その麻痺状態も薄くなっていくので、はっきりと自分の今いる場を感じてきます。
肉を持っている間は鈍感な心も、死んでしまえば、たちまち敏感になっていきます。
そうすれば、一気に重苦しさが自分自身を覆い尽くす結果となって、もう身動き一つとれない固まった状態になっていきます。ただ苦しくて、がんじがらめの自分自身がたくさんあって、その中で、もがき苦しんでいる自分の姿を、はっきりと知るのです。それが紛れもなく、自分自身だったことを感じます。真実を見失った意識は、そのような状態です。
自分を救うことをしなければ、生きても地獄、死んでも地獄です。ただ肉を持っているか、持っていないかの違いだけです。
そして、悲しいことに、肉を持つことによって、その苦しい心を紛らわせていく手段は、山ほどあるのです。だから、殆どの人が、肉を持っている間、自分の本当の苦しみなど分かるはずがないのです。
現に、自分が苦しいと訴えている人でさえ、本当の苦しみに出会っている人は稀です。なぜならば、殆どの人が、自分の心を見ることを知らないからです。
ただ、苦しい、苦しいと助けを求めているか、そこから逃げようとするばかりです。その状態から助けを求めようとも、どこかへ逃げ込もうとしても、どうなるものでもないことが、全く分からないのです。

私には、恐怖心を煽り立てるような思いはありません。きちんと自分の心を見ていけば、そういう状態の自分自身であったことが、鮮明に心に浮かび上がってきて、だからこそ、今、肉がある間というのが、自分自身にとって、どれほどありがたいことなのか。お母さんに産んでいただいたことが、どれだけの愛であったのか。そのようなことが、心にどんどん響いてくるはずです。
はっきりと、自分の成すべきことが見えてきます。
苦しんできたのは、紛れもなく自分自身であり、その自分が、今、救いを求めていることを感じます。その声は、日ごとに大きくなっていくでしょう。
しかし、愚かな肉は、相変わらず、肉の幸せと喜びに奔走する毎日を送り続け、そして、やがて自分の死を迎えるのです。その周期がこれから、少しずつ短くなっていくと思います。自らに警笛を鳴らし続け、内外から、天変地異を呼び起こしていくのだと思います。それほどの切羽詰った状態です。実は、もう限界ぎりぎりのところです。
その切迫した思い、気配を、まだあなたは感じられないでしょうか。
しかし、何も焦ることはありません。浮き足立つこともありません。ゆったりとして、淡々として、自分の心を見ることだけは、日々怠らずに続けていけば、いざという時も、そして、これから起こってくる様々な現象も、真正面から受け止めていけるのではないでしょうか。

自分にとって、自分を見失うことが、一番大変で、一番苦しいことです。ただ、殆どの人は、自分を見失うどころか、自分というものを全く知らない状態です。そのような状態で、ある日突然、天変地異の波をもろにかぶっていけば、どうなるのでしょうか。
おそらく、その波の渦の中に飲み込まれて、肉の命は言うまでもなく、自分自身の意識の世界もまた、これまでと同じように、渦の彼方に遠く飲み込まれていくのでしょう。
これからは、その瞬間に、心の針を合わす勉強をされる人も出てくると思いますが、いずれにしても、「自分で自分を救う」、そして、「自分に本当のことを伝える」チャンスは、すべてに公平に用意されてきましたし、これからも、もちろん、そうなのです。
いつ、そのチャンスを活かすことができるのか。あるいは、永遠に地獄の奥底で苦しみ続けていくのか。その選択を自分でしなさいというのが、本当の世界の真実であると、私は伝えます。



7 人生は、自分の計画通りです

人生は、自分で立案して、自ら構想を練ったものです。その中に、自分に伝えたいメッセージを織り込んでいきます。
「本当の自分のために生きなさい。」
修飾部分を、全部取り去ってしまえば、そのメッセージが浮かび上がってきます。
「ああ、そうだったのか。そう思えば、あれもこれも、辻褄が合ってくる。」
自分の来し方を振り返り、そう感じる人も、これから多く出てくると思います。
その一方で、「私は、自分にこのようなシナリオを書くはずがない」と、どうしても納得できない人もまだまだ多いでしょう。
それは、「なぜ、苦しみ多い人生を、自ら選んでいくのか。自分で立案して、自ら構想を練るならば、もっと楽なものにするはずだ」ということなのだと思います。
何を喜びとして、何に幸せを感じるかによって、それぞれの人生も、とらえ方は分かれていきます。さらに言えば、自分を肉として見るか、意識の自分を中心にとらえていくかで、それぞれの生きる方向が決定されていきます。
結局、「苦しみ多い人生とは何でしょうか。楽な人生とは、一体何でしょうか。そのすべてが、形を中心にとらえているのではないでしょうか」ということだと思います。
自分を意識、心、エネルギーとして見ていけば、人生の中で起こることすべてが、自分を知っていくチャンスであり、苦しみも楽しみも、みんな喜びとなっていくと思います。

ところで、天変地異も、自分で書いたシナリオだと伝えました。
天変地異とは、一般的には、自然災害を指しますが、「ある日突然」という意味からすれば、どなたの人生の中にも、天変地異の一つ、二つは、用意されているかと思います。
本当は、それは、ある日突然ではなくて、そして、寝耳に水でもなくて、きちんと計算されて、起こるべくして起こってくる出来事なのでしょう。
どういう状況の中で、その出来事が引き出されていくのかは、私達の肉で推し量ることはできませんが、自分自身、その出来事によって、何かを考え、何かに気付いていくことを予定していることは、確かなことだと言えると思います。
ただ、心を見る、自分の中に思いを向けることを知らない状態では、気付きが喜びであり、喜びであるからこそ、その喜びが自分を解き放していくんだというところまでには、到底至らないと思います。
「自分が作ってきたちっぽけな枠の中から、飛び出していく喜びを、心から味わっていきましょう。」
その願いを込めて、それぞれの人生を用意してきたのではないでしょうか。
このことを理解するには、なかなか難しいとは思いますが、私自身は、「はい、その通りです」と答えます。
私は、ちっぽけな枠の中に押し込んできた自分自身に、申し訳なく思ってきました。
肉として生きることが、本当に愚かだということを感じる一方で、自分で立案し、構想を練ってきた人生というシナリオを通して、意識の世界の緻密さを感じてきました。
すごいなあと思わざるを得ませんでした。
自分が自分に与えた肉の時間を、どのようにして生きていくのかが、最大のポイントだと思います。
世間に流されて、無難に生きていく生き方が、自分が本当に切望してきた生き方なのでしょうか。
「逆流して生きよ」という意味ではなく、絶えず本来の自分に戻って、その自分の目線から、自分の存在、その他あらゆるものを見ていく姿勢が大事なのではないでしょうか。
その本来の自分の目線というものを、肉を携えている時間の中で、試行錯誤をしながら育んでいくべきなのだと思います。
だから、試行錯誤をする過程で、「ある日突然」の天変地異に遭遇して、その目線を変えるという計画が、それぞれにあるのだと思います。
目線を変えるということは、自分の人生観がガラリと変わることに繋がっていきます。
天変地異とは、それほどの衝撃を、自分にもたらすのです。

「ある日突然」の天変地異によって、自分は間違っていましたと心から思えるから、天変地異なのです。
気付きも何もなければ、形の上から見れば天変地異であっても、その人にとっては、実は天変地異になり得なかったということだと思います。
そして、その人の中に、今度こそ変わっていこうという思いがあれば、再び、天変地異のシナリオを予定していきます。
すべては、その人の意識の世界が計画していくものなのです。

さて、次章では、さらに母なる宇宙へ、ともに思いを向けて語らせていただきたいと思います。


第3章 母なる宇宙

1 目を閉じてごらんなさい

何も思わずに、何も考えないで、目を閉じて時間を過ごすことができる喜びを知っていますか。
人間は、アンテナを張り巡らして、目が開いている間は、四六時中、情報を受け取ろうとします。つまり、自分の心はいつも外に向けられている状態です。それが生きている証なのかもしれませんが、心は忙しく動いています。
何かを思い、何かを考えて、そして、行動をする習性を持っている人間に、「何も思わないで」「何も考えないで」というのは、案外難しいことかもしれません。いつも、何かを思い、何か段取りを考えてしまいます。
「何も思わないで」「何も考えないで」というのは、一見生産性が低いように見受けられますが、自分の中に意識の転回が着々と進んでいけば、目を閉じて、すなわち五官を閉じて、真実の世界に思いを向ける瞑想という作業は、何よりも生産性の高いことなのだと、感じていくことができると思います。
生産性が高いというのは、プラスに作用していくエネルギーを流すということです。
真実の方向に、しっかりと針を合わせ、思いを向けていけば、自分が培ってきたマイナスのエネルギーも、真実の世界から来るエネルギーの中に、溶け合って、プラスに転じていきます。
つまり、いながらにして、仕事をしていることになります。それは、かなり生産性が高いということになるかと思います。
身体も心も、クルクルと独楽鼠のように動かして、一体どれだけのものを生産してきたのか、また、どのような質のものを生産してきたのか。目に見える世界がすべてだとしてきた私達は、大いに反省を促されるべきだと思います。
人間が、これまで築き上げてきたもの、有形、無形に関わらず、そのすべてを破壊し尽くすエネルギーと出会って初めて、自分達の目が覚めていくことだろうと思います。
そして、人間は、その時点で、本当の意味で何かを思い、何かを考えていくのではないでしょうか。
その崩壊は、半端ではありません。ことごとく崩壊していきます。
当然、小手先だけの、その場しのぎの対策などでは、どうしようもないと、はっきりと感じていくのです。
そして、やがて、何もできないことが分かってくるのです。
何もできないというのは、肉の人間として、何もできないということです。肉そのものに、そのようなパワーがあるはずがないからです。
しかし、一方で、肉を生かしていくパワーが、そこに存在することを知っていきます。
そのパワーの存在に気付くために、形を持ってきただけだったと、自らの秘めたるパワーを、心で感じていくのだと思います。
そのパワーの源は何か、それは、肉を外したところでしか分からないことも、自然に分かってきます。
目を閉じて、五官を閉じて、そして、本当の自分の存在に出会っていく、その過程を経ていくことが待ち望まれているのだと思います。


2 自分を生かすエネルギーの存在

宗教的な表現に、「私達は生かされている、許されている」というものがあります。この学びの中においても、そういう表現がされてきました。しかし、何によって生かされているのか、許されているのかということは、その言葉を耳にする人の心の世界によって、全く違います。
私自身は、私は自分に生かされ、許されていると、心で解釈しています。自分を生かすエネルギーの存在を確認しています。
つまり、「私」という存在を、肉の私は知っているのです。
私は消えても、「私」は消えないことを感じています。「私」はエネルギーだからです。
そのエネルギーによって、私は生かされているし、許されています。
また、私は「私」の仕事の妨げにならないように存在していくことを、喜びとしていることも感じています。私の喜びは、「私」の喜び、私の幸せは、「私」の幸せだと、そのように感じられるのです。
私はひとりではありません。いつも、「私」とあります。そして、私の心の中の隅から隅まで、奥底まで、「私」は知ってくれています。どんなに無様な私でも、「私」は心から、私を歓迎してくれています。
このようなパートナーは、他にありません。
私は、自分の人生の時間の中で、数々のパートナーを求め、また組んできました。そして、そのすべてが、失敗に終わりました。
どれだけの固い契りを交わしても、結局は、互いに裏切っていくことを、数知れず体験してきたのです。
もちろん、ここで言うパートナーとは、肉の人間だけではありません。
宗教の世界で使われている、いわゆる神、仏、宇宙のパワーも含めて、数々のパートナーを、私の心は求めてまいりました。
ようやく、今世の時間の中で、私のパートナーは、唯一、「私」であるという結論を、自分の中で見出せたのです。
「私」とは、まさしく私を生かすエネルギーでした。そうです、私は、「私」だったのです。

ところで、あなたは、これまでに、「お母さんに産んでいただいてよかった」と本当に思ってこられましたか。
また、自分を生かすエネルギーがあることを、日々の時間の中で、感じられたことがありますか。
あなた自身、自分を生かすエネルギーと出会うことができたなら、必ず、あなたの物の見方、考え方、価値基準は一変すると思います。ガラリと変わると思います。
もちろん、幸せの基準も喜びの基準も、変わってきます。
外からは、以前と何ら変わることはなくても、中は変わっています。いわゆる私の目と「私」の目で見る両方の世界を知っていくからです。
ある時期は、それが自分の中で混乱しますが、それもやがて、「私」の目から見る世界が本当の世界だと、自然に心で理解できるので、混乱はほんの一時期です。
それから、どんどんどんどん、本当の世界が心の領域を占めていきます。私の中にあった価値基準が、どんどんどんどん入れ替わっていくのです。
その作業を推し進めていく中において、私のパートナーは「私」であるとの結論に達すると思います。
「私」は、お母さんであり、母なる宇宙であることを知っていきます。
本当の幸せと喜び、温もり、安らぎを知った心には、肉だけのそれらのものが、どれだけ安っぽくて薄っぺらなものなのか、はっきりと感じられるのです。
肉は、人恋しさから人の温もりを求めていきます。
「心を癒してほしい、温もりに包まれたい、優しい言葉をください、優しくしてください」と縋っていきます。
助けを、救いを、そして、パワーを求めていきます。
しかし、それらのすべてが間違いだと分かってきます。
私が「私」を知らずに、存在してきた間違いを、「私」が私に、ずっと伝え続けてきてくれたことを思うにつけ、私は「私」に感謝しかありません。ありがとうの言葉と思いしかないのです。
そして、私は「私」を裏切り続けても、「私」は私を裏切ることもなかった、見限ることもなかったことを、私は、田池留吉氏という肉を通して知っていきました。
その意味において、田池留吉氏の肉は、私にとってなくてはならない存在でしたと、「私」が私に伝えてくれました。


3 宇宙は一つです

私達は、それぞれに、自分の中に、宇宙を作ってまいりました。
自分独自の法を自分の中で作り、それに基づいて存在してきました。法だから、全ての点において、自分は正しいのです。何よりも自分の法が優先されていきます。
一つの小さな家庭においても、また地域社会においても、そして、広くは民族、国家間においても、それぞれの法を盾にして、それぞれが自己の立場を主張していきます。
それで、利害が一致している時は、物事は丸く収まっているようですが、ひとたびその均衡が崩れれば、戦いが起こります。当然です。両者は融和しているのではなく、互いに駆け引きの中にあるからです。そして、それぞれの法に則り、時には、相手を完膚なきまでに攻撃していく場合もあります。
私達は、そのようなことを、長い時間の中で繰り返してまいりました。
長い時間を経てきましたから、宇宙は一つだと伝えられても、にわかにそのことを信じることなどできなかったというのが、本当のところでした。
それどころか、私の宇宙は素晴らしいと、どれだけ抵抗してきたことか。自分が培ってきた世界を崩していくことに対して、徹底抗戦していく構えで、みんな肉をもらってくることを、私は、今世初めて心から知りました。
そして、自分自身の思いの根底を崩すことなくして、本当の宇宙は分からないことを知りました。そして、そういうことが、全く分からなかった私達ですから、苦しみ、狂い続けてきたのも当たり前のことでした。
しかし、まだ、今の段階では、自分独自の法を作ってきたことや、徹底抗戦している自分にさえも、全く気付けずに、相変わらず我一番の宇宙を広げ、闇のエネルギーを垂れ流しているというのが、殆どの人達の実情です。

確かに、人々は、我一番の意識の背景を抱えながら、日々の生活を過ごしています。戦いのエネルギーを、しっかりと心に蓄えながら存在しています。そして、自分の心を見ることをしないで、目の前の形の世界が本物だと思い、その世界で幸せを求め、繁栄を願っている状態です。
また、人は、波乱に富んだ一生であったとか、平々凡々な一生であったけれども幸せだったとか、そういうことは話題にするけれども、本当はその程度では、それぞれの人生の背景にまで、思いが届いていません。
いいえ、それぞれの人生の背景にある宇宙にまで、思いはなかなか届かないと、表現したほうが適切かもしれません。
では、人生の背景にある宇宙とは何でしょうか。それは、あなた自身の意識の世界のことです。
背景にある宇宙、つまり、自分自身の意識の世界が分からなければ、どのような人生であろうとも、本当は一様にして失敗なのだと、私は思っています。
ただ、それぞれが、自分の人生が失敗だったと認めることは、決して容易なことではないはずです。それは、自分を否定することになるからです。
しかし、背景にある意識の世界が変わってこそ、生まれてきた意義があるのです。
意識の世界が変わるとは、「私達、宇宙は一つでした」ということに、目覚めていくことを意味します。

このようにお伝えしても、「我一番の宇宙」とか、「闇」とかの表現もそうですが、今はまだまだ、一般的ではありません。
背景にある宇宙と、自分の今の生活とどう結びついてくるのかと、一笑に付されてしまうでしょう。
しかし、私は声を大にして、
「私達は宇宙でした。」
「私達の宇宙は一つでした。」
とお伝えします。
そして、その宇宙の中に、私達は、ずっと生かされて、受け入れられていたことを、これからも伝え続けます。
それが私の喜びです。たくさんの意識達が集ってきます。
苦しみ喘ぎながらも、真実の世界に触れたいという必死の思いに応えるべく、存在し続けていくことが、どれだけの喜びであるのかは、私自身、今世の肉を通して知るに至ったからです。


4 田池留吉の宇宙は、母なる宇宙でした

ここからは、僭越ながら、私自身が心で感じている田池留吉の宇宙について、今現在の時点で語らせていただきたいと思います。
もちろん、そのすべてを心でとらえているということではありませんが、しかし、私は田池留吉の宇宙、つまり、母なる宇宙を、心でとらえているという点につきましては、間違いはないと思っています。

ところで、田池留吉の宇宙を語ろうとすれば、話は、自分自身が培ってきた宇宙、すなわちエネルギーを確認するところから、入っていかなければならないでしょう。
そこで、これまでに、セミナーの中で行われてきた、いわゆる「闇出し現象」に、少し言及させていただきます。

第1章の「1 母の心と宇宙」で書きました通り、私は、田池留吉の宇宙に、真っ向から戦いを挑んできました。
それが私のこれまでの意識の世界だったことを、私は、セミナーを通して、学んでまいりました。
特に、今から遡って、十二、三年前より、自分の中の宇宙が、田池留吉という肉を通して広がっていく意識の世界に、猛反発していることを、はっきりと確認してきたのです。
そして、その確認のために、また、自分の中の宇宙を変えていくために、私は、今世肉をいただいたことも、はっきりと知りました。
もちろん、それは、「母なる宇宙、私のふるさと」へ帰ろうとする強い意志が、私の中に息づいていたからでした。
しかし、最初から、田池留吉氏から発せられる波動の世界が、私の待ち望んでいたものだと、私の中で、合致することは難しいことでした。
母なる宇宙へ帰りたいとする私の強い思いと裏腹に、田池留吉の宇宙を認めることは、私にとって容易なことではありませんでした。
それは、私の中に、君臨してきたという思いがあったからです。
田池留吉の宇宙を認めるということは、自分の敗北に繋がっていくことは必至だと思ってきました。それは、戦って、戦って、戦い抜いて、勝利を収めたほうが、宇宙を我が物にしていくことを繰り返してきた意識の世界に、私自身ずっと存在してきたからです。
私が過去存在してきた世界は、「目には目を、歯には歯を」の世界であり、力には力を持って制する世界でした。それこそ、パワーがすべての世界でした。
そのような意識を背景にして、私は、今世、母に産んでいただきました。
そして、予定通りに、私は田池留吉氏と出会えました。セミナー会場という絶好の場で、私達は出会いを持ちました。
私の中の思いは、おそらく喜び勇んでいたと思いますが、如何せん、肉を纏った私は、自分の肉の厚さに、時には閉口し、時には歯がゆい思いを出しながら、時を過ごしてきました。
なかなか中の思いが、肉を突き破って、ストレートに出るということにはなりませんでした。肉の殻が厚いと落ち込んだ時もありましたが、そのうちに、「いや、違う、私自身、入念に準備を整えている」と、思えるようになったのです。
中から、マグマのように噴き上がってくるエネルギーを、自分自身で受け止めるには、それ相当の準備が必要であることを、肉は知らずとも、中は知っていたのでしょう。その準備に必要な時間が、充分に用意されてきました。

やがて、ある時期より、私の中のエネルギーは、田池留吉氏を目がけて、次から次へと飛び出していきました。
ひとたび飛び出たエネルギーは、留まるところを知らないかのように、どんどん向かっていきました。
どんなに、田池留吉氏の指一本で、ひっくり返ろうが、私は、「なにくそ」の思いで怯むことなく、田池留吉氏に戦いの刃を突き刺していきました。
ある時など、セミナー会場で、私の母が、やはり、田池留吉氏の指一本で、ひっくり返って起き上がることもままならない様子に、私は、思わず母に向かって、叫んでいたそうです。
「お前、何やってるのか。何と情けない。何で手も足も出ない。」
「あいつに、かかっていけ。」
あまりにも、不甲斐ない母の姿に、私は、苛立ちの思いを投げつけていたということを、後日、母から聞かされました。
そのような、セミナーの中での「闇出し現象」を経て、私は、自分が培ってきた世界を知っていきました。それと同時に、田池留吉氏の意識の世界も、段々と心で知っていくようになったのです。
最初、私は、田池留吉氏の意識も戦いのエネルギーで応戦してくると思っていました。私は、そう思い込んでいました。ところが、そうではありませんでした。
それどころか、爪を研ぎ、牙を剥き、相手を見据えて、罵詈雑言を吐いても、全く歯が立たないではありませんか。
私には、それが悔しくて腹立たしくてたまりませんでした。
「何で、どうして、こんな世界があるのか。」
「どうして戦ってこない、なぜ平然としている。」
「何で……、何で……、何で……。」
田池留吉氏という肉を通して感じるものに、自分の力が萎えていく感覚を何度となく味わってきました。それは、自分自身が、何か大きなものに吸収されていっているような感じでした。包まれていると表現してもいいでしょう。
まず、不思議でした。私は、戦いのエネルギーを剥き出しにしているのに、何で、相手は応戦してこないのか、不思議でした。
それどころか、
「私はあなたを待っていました。ずっと待っていましたよ。」
「あなたが、どんなに私に向かってこようとも、私はあなたを愛しています。」
との思いが返ってくるではありませんか。
私には、そんなものは到底信じられないことでした。
「くそったれ、お前の化けの皮をはいでやる。お前なんか大嫌いだ、お前を殺してやる、お前なんか、死にさらせ。」
と、ありったけの罵声を浴びせかけました。心からどんどんその思いが上がってきました。すごい目をしていたと思います。
それでも、田池留吉氏は、ただ黙って、しかし、その懐から流れ出すものは、まさしく母の思いそのものだったことに、私は戸惑いを隠すことができませんでした。
黙ったまま、突っ立っている田池留吉氏から響いてくる世界が、私の意識の世界奥深くに、どんどんと伝わってくるのを何度も感じていきました。
そして、その思いが、厚かった肉の殻をさらに突き破り、肉でない私の世界をずっと広げていきました。
このようにして、肉を纏いながら、肉を外した自分自身と向き合えば向き合うほど、田池留吉氏の世界が心に染み渡ってきました。

以上、昔懐かしさで、セミナーの現象の時間を一部、振り返りましたが、この辺で、また母なる宇宙へ話を戻します。

このような心の体験を経て、私は、田池留吉の宇宙と、母なる宇宙が、ピタリと一致することを、ようやくにして知っていったのです。
それに連れて、私の中が、段々と変化していることが分かりました。
まず、冷ややかで、すべてを見透かされていると思って、大嫌いだった田池留吉氏の目を、真っ直ぐに見ることができるようになりました。見れば見るほど、万感胸に迫ってきました。
「ああ、私は、自分を否定してきました。自分を足蹴にしてきました。」
母なる宇宙からの呼びかけに、自分自身が拒否していたに過ぎなかったことを知りました。懺悔でした。
「母なる宇宙に戻ってきなさい。」
「はい。」
心の世界での短いやり取りで、私の歩むべき道は、確実にその姿を現していったと思います。やっと、心から「はい」と言える私になっていきました。
それは、理屈ではありませんでした。私は、「母の心、母の温もり」を本当に、この心に感じたからです。
宇宙、その心、その思い、そのエネルギー、それは、どれだけの間違いを自分自身繰り返してきたかを、はっきりと示してくれました。
母なる宇宙への思い、そして、母なる宇宙からの思い、それらが、今世ようやくにして、自分の中で出会いを実現できたのです。
出会いがあったから、私の中は、どんどん変わっていきました。
肉というものは、どんなに立派に取り繕っていても、肉は肉に過ぎないことが、鮮明に感じられ、肉や肉の生活とのお付き合いをどの程度にしていくのか、自然に自分の中で調節していくようになりました。こだわらない、つかまない、入れ込まない。しかし、肉は肉として、それなりに楽しむ術を心得るようになりました。
形の世界には、私が望んできた幸せも喜びも絶対にないことを、確認する日々でした。
そして、「人は、必ず帰っていく」ことも知りました。
真実を見失ってしまった人類も、やがては自分の帰るべきところを、必ず自分で見つけ出すことを感じます。
確かに、今はまだ私達人類は愚劣ですが、その愚劣な姿を、容赦なく自分の目の前にさらけ出していくことを、私達は選んでいるのです。
それは、自分の中に、本当の自分に帰ろうとする思いが現存しているからだと、私は思っています。

母なる宇宙というものは、まだ殆どの人の心には響いてこない波動の世界のことかもしれません。しかし、現に今、その波動の世界は実在することを、私は伝えています。
本当の意識の世界に目覚めた証に、これからそれぞれの心に蓄えてきたエネルギーが、どんどんと噴き出してきて、それが忽ちのうちに、形となって現れてきます。そういう形を通して、意識の目覚めが、それぞれの心に浸透していくのだと思います。
それが、いわゆる、意識の流れです。
意識の流れがあるから、私達の心にある膿が、具体的な形となって現れ、私達の心に戻していくのです。
これまで、私達は、その膿が形となったものをどのように処理していくかに、頭を使ってきました。それでは、さらに濃厚な膿を作り出すことにしかならないのです。
そうではなくて、戻ってきた膿そのものを、心で見つめていくことを自らに促していくのです。もちろん、形を通して、心は様々な衝撃を受けます。半狂乱になるとか、心が壊れてしまうとか、色々な表現はありますが、人間の心は、そのような柔なものではありません。ガラス細工のような繊細な心の持ち主が、肉を持って生まれてくるはずがないのです。みんな、本当に凄まじいエネルギーを心に溜め込んできたことを、じっくりと知らなければならないでしょう。
奇麗事では済まされません。心の中の膿、闇の部分が、抉り出されていきます。
母なる宇宙の波動が、そのように誘っていくからです。


5 母なる宇宙に思いを向けて

「今、宇宙を思えば嬉しいです。宇宙を思えば幸せです。お母さんの懐を思い出しています。私はあの温もりの中に戻っていくことができるのだと感じています。どれだけの間違いを積み重ねてきても、私は温もりへ戻っていくことができるのです。温もりは私だからです。
今、存在を許されていることを感じます。厳然としてある波動の世界を感じます。」
瞑想すれば、心に上がってくる思いです。

「愛」と「死」を見つめて、私の旅は始まりました。気の遠くなるような時間を心に積み重ねてきました。
私には、そのことが心に強く響いてくるのです。どれだけ間違ってきたことか。どれだけ狂い続けてきたことか。それらは全部、心の記憶としてあります。
人の優しさや温もりも、もちろん知っています。時には、人の情にほだされることもあるでしょう。だからと言って、そこに留まるわけにはいかないのです。
その心の奥底に眠る闇の部分に蓋をすることは、もうできません。闇の部分から目を背けることはできなくなってくるのです。
「本物の優しさと温もりに出会いたい。」
心の叫びが、時間を重ねていくうちに強く、強くなっていくからです。意識の流れに誘われて、必ず、そうなっていきます。
そして、上辺だけの優しさや温もりではなくて、本物の優しさと温もりに出会うには、地獄の釜の蓋を全開していく必要があることを知っていきます。
みんな、その蓋を開くのを本当は待っています。待たずとも、自分で開いていけばいいのに、肉を持つと臆病になってしまいます。小さな世界に、自分を押し入れて、小さな世界で幸せを求めていくのです。
何と悲しいことでしょうか。何と哀れなことでしょうか。
私達は、本来、広い、広いどこまでも広がっていく宇宙です。小さな世界にいては、無限に広がっていく宇宙を感じていくことは不可能です。
地獄の釜の蓋を開けて、中に押し込んでいるエネルギーを、みんな解き放していくことから始めなければなりません。
汚いものを詰め込んだ状態では、とても、本当の自分との出会いは不可能です。
「汚いものが表面化してくれば、都合が悪いですか。なぜ、そう思うのですか。いつまでも、清く正しく美しい自分の影を追うつもりでしょうか。」
自分に問いかけてみてください。
偽物の自分も答えてくるでしょうが、本物の自分の思いも、その問いかけに反応してくるはずです。
どちらの声に耳を傾け、心を向けていくか。それが、これからのそれぞれの人生を決定していくのだと思います。

さて、今、母なる宇宙へ、ともに心を向けてみましょう。

あなたの目を閉じて、一つ、二つ……、深く丹田呼吸を始めてみてください。五官を閉じて、あなたの心が落ち着くまで、静かに息を吐き、息を吸ってください。
あなたの心に、今、あの懐かしいふるさとのメロディーが聞こえてきませんか。優しい、優しい、母の呼びかけです。
「あなたが戻ってくるのを待っていますよ。いつまでも、いつまでも待っています。」

ふるさとのメロディーとともに、あなたをいざなってくれていることを信じていってください。
私には、心の底から、異語が聞こえてきます。
異語とは、日本語でもなく、英語でもなく、その他の***語というものでもありません。それは、言ってみれば、宇宙語でしょうか。
異語は、私にとって懐かしい、とても懐かしい響きの波動の世界なんです。私は、その異語のリズムに乗っています。心がどんどんどんどん大きく広がっていくのを感じます。
宇宙、私はそう表現しました。
私は、母なる宇宙の懐にいることを感じます。ただただ嬉しいだけです。
懐かしい、嬉しい、私は私のふるさと、宇宙を心に感じている。そのことが、今、私の心の中から、喜びとして、幸せとして、湧いて出てくるのです。

私達の今の肉は、いずれ消え去っていくものです。肉の自分、肉の家族、肉の仕事、その他、形となって目の前に広がっているものは、消えては現れ、そして、また消えていくものです。
しかし、それを見つめ、それを感じている自分の心の世界は、決して消え去っていくものではありません。
そして、その心の世界は、今、思いを向けていけばいくほど、心で応えてくれる時期になっています。もう、手を伸ばせば、すぐそこに広がっている世界です。
ほんの少しでも、その世界を感じ、その世界に触れて、それぞれの今世の肉を終えてください。
母なる宇宙からのメッセージは、これからのことを、しっかりとした波動で伝えてくれています。これから私達が歩んでいく道筋を伝えてくれます。厳しさとともに、「必ず、必ず、戻ってくることを信じて待っています」と伝わってきます。
それぞれのこれからの明暗を分けるものは、自分自身です。私は、私を生かすも殺すも、私自身だったことを感じてきました。
意識の世界の法則は、決して曲げられないものです。
私は、今世の肉を通して、そのことを明確に知るに至りました。
私達は、「愛」ゆえに、意識の世界の法則を侵すことはできません。
私達は、法に則り存在しています。
その法とは、少しも窮屈なものではありません。自分を縛るものではありません。

法は愛、法は優しさ、そして、法は温もりです。



おわりに ― ともに歩みを進めていきましょう ―

二五〇年後の来世やUFOの話など、荒唐無稽な話だと、お笑いになられるかもしれません。それを証明し、信じるに値する資料など、どこを探しても見つかりません。
それよりも、これから景気はどうなるのか、少子高齢化社会の将来はいかにとか、もっと身近なところでは、今晩のおかずは何かというほうが、現実味があります。
しかし、あなたが、今、肉眼と、心の目の両方の目を兼ね備えていたとしたならば、決してそうは思わないはず、思えないはずです。
肉眼を通して得る世界は、確かに、今、現実です。しかし、それは、心の目を通して感じていく世界の現実には、及びもしないことだとなっていくと思います。
今は、日々の暮らしに沿ったハウツーものばかりが、もてはやされていますが、それでは対処し切れなくなってくる時が、間近にやってきます。外に求めてきた情報など、何の役にも立たない、何の値打ちもないと思う時が、やがてやってくるでしょう。
それは、「私が今、知りたいものはそんなものではない」と、心から叫び出したくなる状況です。
今現在、それぞれの環境の中で、様々な悩みや苦しみを抱えておられると思いますが、これから遭遇する出来事は、その程度のものではないことを、ここでお伝えしておきます。
あなたの外から、そして、中から、異変が突き上げてくるのです。
あなたの身体がバラバラになって飛んでいくほどの衝撃を、あなたの心(意識)は受けていかれるだろうと思います。身体を突き抜けていく衝撃は、今までの自分の生き方の方向を変えざるを得ないほどのものだと思います。
あなたのその目を通し、耳を通し、そして、身体全体で受けていく衝撃は、想像を絶するものということになります。
それほどのものを受けていかない限り、人間の思い、意識は変えることはできないのです。
その体験を基に、それからあとの自分の進むべき方向を、それぞれが自分で選択し、それを速やかに遂行していくのだと思います。
私達とともに次元移行するのか、そうでないのか、すべては自分の意識の世界が最高責任者であるのです。それぞれの意思決定が必要です。
強い意志のもとに、何が本当に自分を奮い立たせていくのか。自分の中で、きちんと見つめていくことが、最も大切なことだと、私は感じています。
あなた自身の心で感じ、あなた自身の心で答えてくれている思いに、ひたすら真摯な思いを傾けて、これからも存在していくことに尽きると思います。

せっかく、お母さんから肉体をもらってきたのだから、本気になって真剣に、そして、もっと大きく広く自分の行く末を思いませんか。
肉のご自分を楽しませること、喜ばせること、仕事や家族を含む肉の生活の中で、元気に活動されること、それはそれでいいと思います。しかし、それのみでは、何とも残念な人生ということになるかと思います。
そのような、一過性の楽しみや喜び、生きがいではなくて、もっと、奥深い世界に触れられたらと思うばかりです。
お金を信じる人は、いずれお金に裏切られます。あなたの愛する人は、どうでしょうか。
その前に、あなたはご自身を信じていますか。
自分を信じられずに、人を愛することなどできないと、私は思っています。自分を肉として見て、相手も肉としてとらえる、その段階でどんなに愛しい思いを抱いたとしても、その愛は、やがて愛しい人も、そして、あなた自身でさえも、裏切っていく結果となっていくでしょう。その愛はいずれ消え去っていく影だからです。
消え去っていく影を悲しんでも、悔やんでも、恨んでも、仕方がないではないですか。固執する思いが苦しみを募らせていくだけです。
それよりも、視点を変えていきましょう。
あなたとともに歩む仲間は、あなた自身なのではないでしょうか。
そして、「あなたは私、私はあなた」を、本当に心から信じ思える意識の存在に気付くことが、あなたの幸せに、そして、喜びに繋がっていくのではないかと思いませんか。
あなたに数え切れないほどの肉体を持たせてくれたお母さんの意識は、いつも、いつもあなたに、そのことを伝えてくれていたに違いありません。
しかし、あなたは、「私の存在に気付いてください」というメッセージを、繰り返しドブに捨ててきたご自分であったのです。そのことに、自らの体験を通して、知っていってください。
私もまた、そのような転生を数限りなく繰り返してきた結果を、自分で受けてまいりました。そして、自らの方向転換を今世、させていただきました。
したがって、その愚劣さも、哀れさも、苦しみも、悲しみも、全部、肉を持てば当然だと感じています。
当然ですが、しかし、それでは何も事は解決しない、事態は前に進んでいかないこともまた、承知しています。
肉からの脱却がない限り、何をどのようにしても、決して地獄から抜け出すことはできないと、心より感じています。
自分自身を地獄から解き放つことを、ただひたすらにしてくださいと思うだけです。
「ともに歩んでいきたい」、あなたの地獄の奥底の声が、私には感じられるからです。
ただし、それはあなた自身に意識の変革がなければ、どうしようもないのです。
それでも、私は、その意識達に、これからどんどん呼びかけていくつもりです。

宇宙へ発信する思いと、宇宙から発信される思いとが、ともに歩みを進めていく方向に、これからなっていくことを、お伝えしておきます。天変地異という形で、そのメッセージを、お伝えしていきます。
母なる宇宙からのメッセージは、これから、どんどんどんどん発信されていきます。
先に語らせていただいた通り、私は「私」の存在を知ったから、私は「私」とともに、今世の肉を持つ時間を淡々と過ごし、そして、二五〇年後を待ちます。
二五〇年後の肉を携えて、「私」とともに広げていく人生のドラマは、圧巻だと思います。
私は、二五〇年後、母なる宇宙が、私達を待っていることを、全宇宙へ発信していきます。そのために、私は肉を必要とするのです。
地球という星に、その拠点を置き、そこから発信していくのです。
私は、UFO達の飛来を感じます。UFO達とともに、次元を超えていくことも感じています。
「ああ、母なる宇宙よ、私達はあなたとともに、三次元から四次元へ移行してまいります。」
私が、ずっと探し求め続けてきた世界が、今、私の心の中で段々に明らかになってきているのです。
「ここに帰りたかった。」
その思いが、ずっと自分を繋いできたことを感じさせてくれるし、その思いが、これからの私を導いてくれる手ごたえを、今ずっしりと感じています。
人類に気付きと目覚めを呼び起こすエネルギーが、どんどんどんどん宇宙から流れていることを感じています。

繰り返します。
宇宙とは、遠くにあるものではありません。宇宙は、私達の心の中にある世界です。
その世界から、今、どんどんどんどんエネルギーが放出されています。
大いなるパワーの源、大いなる温もりの源、そのエネルギーが宇宙そのもの、私達そのものであることを、これから地球上で体験されていくのでしょう。
最後に、「人として、肉を持たせていただいた意識として、今ある時間を大切に、自分をこよなく愛すること、それだけが望まれていることです」という言葉で、この章を締めくくります。

 


追 伸

第3章の「4 田池留吉の宇宙は、母なる宇宙でした」のところで、母なる宇宙への思い、母なる宇宙からの思いが、今世、ようやく自分の中で出会いを実現できたと書かせていただきました。
その母なる宇宙への思いと、母なる宇宙からの思いを追伸として掲載しています。
また、私は、母なる宇宙と思った時に、私達の学びの場であったこの地球という星に思いが向いていきます。そこで、愛しき地球という部分を、拙著『宇宙の風』より抜粋したものを掲載させていただきました。

【母なる宇宙への思い】
私達は、あなたのもとに帰るために、この地球上においても、数え切れないほどの転生を繰り返してまいりました。地球以前の時間を加えると、果てしない過去からずっとあなたを探して、宇宙を彷徨い続けてきた意識です。
あなたを心から捨て去った私達は、真っ暗な宇宙を自分の中に広げてきました。どんなに幸せと喜びを求めてきたことか。それがことごとく失敗に終わってきたのです。私達はあなたを恨みました。呪いました。
「なぜ私達を見捨てたのか。なぜ私達をこんなに真っ暗な中に突き落としていったのか。」
心の奥底で「あなたに帰りたい」と叫びながら、その叫びを自ら押し留めてきた私達がありました。長かったです。長くて苦しくて、いまだにたくさんの私達の仲間は、本当のことを知らずに、苦しみの淵に沈んだままの状態です。
そのような状態の私達に、今世という時間が与えられました。
私達は、決して選ばれた特別な存在ではありませんが、今世という時間の中で、真実の波動の世界に触れていきたいと心に強く願って、それぞれが、それぞれの肉を選び、環境を選び、そして、学びに集うことを誓ってきた意識です。
さらに言うならば、本当にどうしようもないほどに地に落ちてしまった私達だから、今世の時間を自らに与えたということです。
今世、学びに集ってきた私の仲間達には、まだその自覚がない人もかなりありますが、間違いなく私達は、自分との固い約束がありました。
母から肉体をもらって、この世に出てくるということは、すべての意識にとってのチャンスであることに違いはありません。
しかし、実際に学びに集える、真実の波動の世界に触れるチャンスがあるというのは、本当にその中で一握りの意識なのです。だから、特別だという思いを広げてきた人もありますが、私は、そのことをただただ喜んでいきました。そして、学ばせていただきました。
私は自分の道を、ただひたすらに歩み続ける喜びを知ったのです。
心を見て、自分のエネルギーを感じて、本当にそうでしたと何度も自分の中で、頷いてきたのです。

今、目を閉じて母を思い、宇宙を思えば、確実に響いてくる波動の世界があります。いいえ、目を閉じなくても、ふと思うだけで嬉しいです。
たくさんの過去からの思い、過去世達を心に抱えて、私は、今、肉を持っていることを、ごく普通に感じています。私は意識の集合体なのだと感じています。
その一つ一つが、喜びを伝えてきてくれます。
「ようやくですね。やっと、やっと、私達は、お母さんのもとへ帰れるのですね」と、ともに帰ることを何よりも喜んでいます。
「私達は苦しみではありませんでした。母を捨てたのは私達でした。母はいつも私達に伝えてくれていました」と、それぞれみんな一斉にそのように語ってきます。
「お母さん……、ありがとう」、心の底から湧き上がってくる喜びの思いに、どれだけ今が幸せであり喜びであるのか、とても言葉では言い尽くせないものを感じてきました。
そういう意味においても、今世の肉は最高に幸せな時間と空間を得ています。
お母さん、私はさらに心を見て、母なる宇宙へ帰る準備を着実に整えてまいります。それが私の喜びでした。それが私の幸せでした。
私達の宇宙は、私達を待ってくれています。喜びで待ってくれています。
そのことを伝えてくれた田池留吉氏の肉には、ただただ感謝しかありません。ありがとうの思いしかありません。
あなたとの出会いにより、私はようやく自分の宇宙が喜びであり、喜びの宇宙と一つなのだということを、確認させていただきました。
波動の世界でした。宇宙からの波動を心に受け止め、心に広げ、そして、宇宙へ思いを向ければ、どんなに幸せな存在であったのか、今、しっかりと感じています。


【母なる宇宙からの思い】
ありがとう、ありがとう、私に心を向けてくれてありがとう。私はあなたを信じてきました。ずっとずっと信じて待っていました。
宇宙は、これからどんどん変わってまいります。どうぞ、喜びで私の思いを受けていってください。ともに喜びを広げてまいりましょう。
私達は一つです。お母さんを思うことをしていってください。
この世でただ一人、あなたに真実を伝えてくれたのは、あなたを産んでくださったお母さんです。そのお母さんの本当の思いに触れずでは、何も分からない、何も変わらないことを知ってください。
これから、あなたの周りを眺めていけば、肉を本物とする意識がどれだけ愚かであるのか、さらに激しく訴えてきます。
あなたは、ただ私に心の針を合わせ、母なる宇宙を思うことだけをしてください。
もちろん、心は様々な波動を受けていくでしょう。心の針を合わせることや、母なる宇宙の波動を知らなくては、そういったものに飲み込まれていきます。
しかし、何も案ずることはいりません。心で確かに感じている温もり、広がりの波動の世界は、それらを大きく包んでいくことでしょう。
私は、学びに集ってこられた方々に、そのお勉強をしてくださいと伝えてきました。
「自分を救うのも、そうでないのも、全部自分の世界のことです。それが意識の世界ですよ」と、何度もお伝えしてまいりました。
あと残されているのは、それぞれの実践だけです。
もうご承知の通り、これから二五〇年に至る時間は、激動の時間です。人類がいまだ体験したことのない激動の時間を経てまいります。
そして、二五〇年後の再会、出会いとなるわけです。
私は、嬉しくて、嬉しくて、仕方がありません。ともに喜びを感じていけることが、私の喜びでございます。
二五〇年後には、一人でも多くの方々と、ともに喜び、喜びを広げてまいりたいと思っています。
どうぞ、喜びで生まれて、喜びで死んでいってください。
なぜ生まれてくるのか、なぜ死んでいくのか、それぞれの時間の中で、お母さんに思いを向けて、自分自身に聞いてください。
必ず、お母さんはあなたに伝えてくれます。
「母のもとに帰ってきなさい。それがあなたの幸せですよ。あなた自身の喜びに帰れることを信じていってください。待っています。いつまでも待っています。」
私は、母なる宇宙から、今、あなた達に送ります。
「私の喜びはあなたの喜び、あなたの喜びは私の喜び。私はいつもいつも、あなたの心の中で待っています。あなたが私に応えてくれるのを、いつまでも待ち続けています。」



【愛しき地球】
私達が、今、生活をしているこの地球を思ってみます。
地球は意識。優しい、優しい意識を感じます。
地球は、私達に優しさを、絶えず、絶えず伝えてくれていました。
母なる宇宙の中にある意識。その一つが、形となって表れてきた地球です。
その地球に、私達は、長い、長い間、肉という形を持って自分を見つめる時間を用意してきました。
地球に思いを向ければ、「地球よ、本当にありがとう」、そのような思いが湧いて出てきます。
私達が流してきたエネルギーを、その中に受けてくれてきた地球の優しさです。
私達は、どんなに凄まじいエネルギーで、この地球上で存在してきたか。
ああ、それにしても、地球から返ってくるものは、ただただ優しさです。温もりです。気付きを、促しを、与えてくれていました。

今、私は、母なる宇宙の中にある地球を思っています。
地球は、応えてくれます。
あなた達が、私達の中に流してきたエネルギー、そのエネルギーを、私達は、これから、あなた達に戻してまいります。
しかし、私達が、あなた達に返していくのは、ただただ喜びだけです。
喜びの思いで、あなた達が流してきたエネルギーを返していくのです。そのことを、どうぞ、それぞれの心で感じていってください。
私達のこの思いを受け取っていってください。
天変地異という形で、私達は、あなた達に返していきます。
母なる宇宙の中にある私達です。その宇宙と心を一つにして、私達の中から、天変地異という喜びのエネルギーを流してまいります。
どうぞ、地球上に肉を持つ意識達よ、この天変地異の喜びのエネルギーを受けていってください。
そして、どうぞ、気付いていってください。自分達の本当の姿に気付いていってください。
それが、これから、二五〇年、三〇〇年の時間です。
私達地球の意識を、どうぞ、どうぞ、しっかりと心で受け止めていってください。
私達は喜びです。母なる宇宙の中にある喜びの意識です。


今、私は、地球の思いを聞かせていただきました。
遥か彼方の宇宙から、この地球を目指してエネルギーが集合してきます。
形としては、隕石がぶつかってくるという現象かもしれません。
しかし、それはすべて、宇宙に広がる喜びのエネルギーです。
その中で、地球という星も、喜びのエネルギーを噴き出していきます。
そうして、宇宙は一つになり、喜びのエネルギーに満たされていくのです。
すべては、母なる宇宙の中の出来事です。温もりの中の出来事です。これこそが、愛の中の出来事なんです。
地球は、自らの軌道を変えていくでしょう。それほどのエネルギーをもって、私達真実を知らない意識に伝えてくれるのです。

母なる宇宙の中で、みんな心を一つにして、喜びに帰っていくことが待たれています。
私達は、この青く輝く地球という星に降り立って、長き時間を経てきました。
すべては、母なる宇宙に帰るためです。
地球にありがとうの思いを寄せて、私は、あと少しの間、この空間に存在します。
今、自分に思いを向け、そして、この地球とともに過ごしてきた時間に思いを馳せるとき、ここに降り立ち、そして、数限りなく、肉という形を持たせていただいたことに、万感の思いを感じます。
母なる宇宙への道筋をしっかりとつけ、優しかった地球に別れを告げていくことは、喜びです。

地球に思いを向けたとき、地球は、自らの軌道を変えていく。私の心から、淡々とこのような思いが出てきました。
地球自ら軌道を変える、そうですね、そうして地球上に大規模な天変地異が起ってきます。
そうすると、たくさんの陸地が、島が、海の底に沈んでいきます。
かつて、私達が体験してきたそれ以上の天変地異が起こってきます。
かつて、私達は、大きな大陸が沈んでいくときに、それぞれ、どこかで肉を持ち、その体験をしてきました。
その体験を遥かに上回る天変地異が、これから、二五〇年、三〇〇年の間に、起こってきます。
大陸が沈んでいくんです。一瞬のうちに沈んでいきます。
地球自ら、その軌道を変えるのです。すごいエネルギーです。すごいエネルギーが宇宙に、意識の世界に働いていきます。
それは、本当に想像を絶するほどの規模で、宇宙全体に促されていくのです。今のような規模の天変地異ではないことは、明白です。
これから、地球上に肉を持つ意識達の多くは、大変な心の体験を経ていきます。
だからこそ、私達と二五〇年後に出会ったときに、茫然自失のままの意識の世界に、自ら衝撃を与え、自らを目覚めさせていけるのです。
宇宙とともにやってくる天変地異です。今、宇宙の中で、大きな役目を果たしてくれる地球を思っています。


合本作業を終えて

初版発刊から約六年の年月を経て合本作業を終えた今、さらに本書をパワーアップさせて送り出してやりたいと思いましたので、本章を追加させていただきます。

本章では、最新の学びについて触れていきながら、私自身の思いをもう少し語ってみようと思います。
その狙いは、さらに、さらに、母なる宇宙へあなたの心を向けていただきたいというところにあります。
本書の冒頭に記しましたように、母なる宇宙というのは、私達が本当に帰るべきたった一つのふるさとです。
そして、そのふるさとは、私達の中にあった。私達の中に本当の喜びと温もりの世界があった。そういうことに目覚めていくというか、私達はそういう自分を取り戻していく流れの中にあるんですよと、本書を通して、私は語らせていただきました。

さて、私は、直近(二〇一二年十一月)に、『磁場と反転』という表題の本を出版させていただいています。ぜひ目を通していただければ、大変ありがたいです。
私は、その本の中でも、「宇宙」という世界のことを少々触れさせていただいています。
まさに私が語る宇宙というのは、私達から遠くかけ離れた世界のことではありません。
「宇宙は私達そのものなんです。宇宙とは意識です。エネルギーです。宇宙は私達の中にある意識、エネルギーなんです。つまり、宇宙は私達そのものなんです。」
このことを、本当にあなたの心で感じていただきたい、心で分かっていただきたい。それが私の切なる思いなんです。
実際に、昨年出版させていただいた『磁場と反転』を読んでくださった方はお分かりのように、私達は、私達の目には見えないけれど、磁場というプラスのエネルギーの中に、私達すべての意識は存在しています。
そのエネルギーを心に感じ受けながら、日々の生活の中で自分の心に上がってきたマイナスの思いを反転させていく。実はこれが私達人間の大きな、そして、たった一つの仕事なんです。しかし、現実の社会はと言いますと、決してそうではありません。
世の中は有限の世界です。磁場という言葉も、反転という言葉も、有限の世界の中で聞き知っているだけです。
本来の磁場と反転のエネルギーがどんなにすごいエネルギーであるのか、どんなにパワフルなものであるかなんていうことを、実際に自分の心で触れていく体験をされる人間は、ごく少数です。
今はまだ殆どの人達が、自分の目の前の出来事に一喜一憂しながら、自分の人生の時間をやり過ごしているというのが現実のお話です。
しかしながら、私達は、本当の自分を自ら捨ててきたという哀しき現実を抱えています。これは紛れもない事実なんです。
にもかかわらず、このことは、これまで誰も言ってこなかったんです。いいえ、言うことができませんでした。
それは、地球人類は、本当の自分を知らずにずっときたからです。
当然、自らを捨て去ったことなど全く分かりませんでした。

磁場ということも、反転ということも、有限の世界の中でとらえるそれとは全く違うことを、私は『磁場と反転』の本の中で語っています。
そして、本来の磁場のエネルギーを心に感じながら、自分の中を反転させていく。つまり自分の中の本当の愛、本当の自分に出会っていくことが、私達人間の本当の人生だと私は語らせていただいています。
「プラスのエネルギーしか存在しないのに、マイナスのエネルギーを作り続けてきた私達でした。」
「しかも、マイナスをマイナスと思わずに、いいえ、マイナスだと分からずに膨大な時間を費やしてきました。」
一人でも多くの方が、このことを自分の心で気付くことからやり始めなければならないと、私は引き続き、本書でも強く語りたいと思っています。

自分の中の本当の愛と表現しましたが、特に私達はこの愛について、大きな過ちを繰り返してきました。愛というものが分からなかったんです。「愛のエネルギーは自分達の中にある」「自分達が愛そのもの」「私達の宇宙は愛そのものだったにもかかわらず、その愛を捨てた。捨てて全く別物の愛を愛だと信じてきた」ことを、私は、本書で、やはり書き記すべきだと思いました。
母なる宇宙へともに帰ろうとは、私達のふるさと、愛にともに帰ろうということなんです。
確かに、私達人類の歴史をひも解いていけば、これまでに愛を説く人、愛の人と多くの人達から讃えられてきた軌跡が、随所に残されていると思います。歴史上の記述では確かにそうなっているでしょう。
では、そこで説かれた愛とは一体どんなエネルギーなのでしょうか。どんな波動なのでしょうか。愛の人と称される人から流れてくるエネルギー、波動はどうなのでしょうか。
有限の世界に生きる人間達にとって、エネルギーであるとか、波動であるとか、そういうことはどうでもいいことなのかもしれません。
そこで語られる文言、施される様子を見て聞いて、それで納得するのでしょう。
そして、真偽のほどはどうであれ、こういうことですと、一度、学校かどこかで教えられたら、それが後世までずっと言い伝えられていることも多々あると思います。
そして、私達は、まことしやかに伝えられたものを、そのまま鵜呑みにしているだけかもしれません。
これまで、誰ひとりとして、そこから流れてくるエネルギーとか、波動というものを判断の基準にしてきませんでした。
しかし、私達人間を含め、すべては意識の世界にあります。私達人間の本当の姿は目に見えないものなんです。だから、すべてはそこを基盤にしなくてはなりません。
目に見えない意識の世界が本物の世界だとする基盤から、物事を見て、物事を判断していかなければ辻褄が合わないんです。
つまり、語る文言、施す表情、仕草よりも、そこから流れてくる波動、エネルギーが問題なわけです。
さらに、それが自分の心で、プラスかマイナスか、きちんと見分けがつく、この点が非常に大切なことなんです。
波動、エネルギーがプラスかマイナスか、その一点がとても大切なことだと、私達は、今世、田池留吉氏を通して、具体的に学ばせていただきました。

自分というものを全く知らずに、そして、自分というものを全く取り違えてきた私達人間のこれから先の時間は、それを自分達の中で気付いて修正していく方向に流れていきますので、当然のことながら、その気付きと修正を促していく現象が、次から次へ起こってきます。
しかもその規模は、増大の一途を辿ります。
母なる宇宙へ帰る道筋をしっかりと歩いていきましょう。この道筋にしっかりとあなたの軌道を乗せていってください。
田池留吉の磁場と反転をしっかりと実践していくことにより、母なる宇宙への道筋が見えてきます。母なる宇宙へ帰ることに繋がっていくように、磁場と反転の実践を積んでいくことが必要です。

私達は母なる宇宙へ帰る意識です。母なる宇宙へ帰ると固く、固く約束してきた意識の集団です。
しかし、私達は特別な集団ではありません。このような集団は、今、私達のように肉という形を持っていない意識達の中にも、もちろんあります。
地球上に今現実に肉を持っている意識達、これからの転生の時間の中で肉を持ってくる意識達、その意識達も、もちろん、母なる宇宙へ帰ることを約束してきた意識達です。
その意識達を、どのように本来のこの母なる宇宙とともにの道筋へいざなっていくか、それは二五〇年、三〇〇年の地球上を含む宇宙空間に展開される天変地異の現象に、そのすべてが関わっていきます。
この現象を通して、今はまだ真実から遠く、遠く離れている意識達にも、必ず大きな、大きな衝撃が待ち受けています。
「私達は母なる宇宙へ帰るんだ、帰るんだ」、その叫びがどなたの心の中にも起こってくるんです。

私達はこうして地球上に肉体を持っています。しかし、肉体を持たない意識達がこの宇宙空間にどれだけ存在しているか、あなたはご存じですか。どうぞ、あなたの中に交信してくる宇宙、意識達に思いを向けられるあなたであってください。
それらは決して、あなたを脅かしたり、不安に思わせたり、狂わせたりはしません。
それらは、あなたの中で苦しみ、悩み、そして暗い、暗い、本当に泣き叫んでいる意識達です。
そうです、それはあなた自身でもあるんです。自分の帰るところが分からず、自分というものを知らずに宇宙空間に彷徨っている意識達です。
その意識達に心を向けて、ともに帰ろうとしっかりと伝えていってください。
心で感じた優しさ、温もりで、「母の温もりの中に私達は帰れるんだよ」「母なる宇宙へ帰れるんだよ」、そう優しく、優しく伝えてあげることが、今のあなた方の役目なんです。
どうぞ、そのように心で学ばれた方からまず始めてください。

田池留吉の磁場に心の針を向け、そして、反転という実践を通してあなたの中の狂った意識、真っ黒な意識、凄まじいエネルギー、そういうマイナスのエネルギーをプラスに変えて、温もりに変えて、優しさに変えて、そこから何とも言えない喜び、優しさが伝わってくるという体験をされた方もあるでしょう。
そうしていくことが、母なる宇宙へ帰る道筋にあることを、宇宙空間に漂うすべての意識達に伝えていきましょう。
どうぞ、母なる宇宙へ帰る道筋を、私達とともに歩いていきましょうと呼びかけ続けてください。
私達は肉があってもなくても、そのように呼びかけ続けていくべきなんです。本来はそうなんです。なぜならば、私達は意識だからです。エネルギーだからです。
私達が、この地球上に肉体を持ってきた時間は長いです。また、私達のように、肉体を持てずにいる意識達もいます。
どうぞ、ともに帰れる道を勤しんでいってください。
今世のあなたが肉を持っている時間は、あなただけの時間ではないことは、前にどこかでお伝えしたように思います。
どうぞ、そのことをしっかりと、そして、素直に受け止めて、あなたの中に、たくさんの、たくさんのともに帰ることを切望している意識達がいることを、どうぞ、どうぞ、一日でも早く心で感じていってください。
私達は、その日が来るのを一日千秋の思いで待ち続けています。

愛を思い、母なる宇宙を思います。

お母さん、ありがとうございます。私達は何度この地球上に転生を繰り返してきても、あなたの思いにそぐわない時間をたくさん、たくさん過ごし続けてきました。申し訳ございません。
今、私達は母なる宇宙へ帰ろうという呼びかけを、今世の肉を通して、いただいています。今、私達はとても嬉しいです。こんなに、こんなに嬉しい時があったのか。本当に、本当に夢みたいなお話です。
しかし、私達は必ず帰ることを約束してきた意識だと伝えていただきました。このようにして母に産んでいただき、そうして、母なる宇宙へ帰ろうという呼びかけを、いざないを、今、心に受けさせていただいています。

田池留吉の意識が語ってきます。
「あなた達は愛だったんですよ。本当のあなたは愛でした。愛の中に帰りましょう。それが私達のふるさと母なる宇宙へ帰る道なんです。
母へ帰る道、愛へ帰る道。すべてが一つです。私達はそのことを伝えにきた意識なんです。」
そのように田池留吉からのメッセージが来ます。

私達は本当に喜びの意識だったんですね。嬉しいです。本当に嬉しいです。心の中をしっかりと見つめてくださいと、心から私達は伝えていただきました。心を見ることがすべてでした。心の針を向けて合わせていける喜びを今、感じています。
間違った方向にばかり、心の針を向け合わせてきました。
真っ黒な宇宙を数限りなく作り続けてきた意識ではありますが、今ようやくにして、明るくて、温もりの広々と開けた世界が私達そのものだと伝えてくれる方向に心を向けながら、母なる宇宙へ帰れる喜びを伝えさせていただけることが喜びです。ありがとうございます。
私達、お母さんのもとへ帰ります。たくさんの、たくさんの宇宙達ともに帰ります。この喜びの道をしっかりと歩んでまいります。
二五〇年、三〇〇年の時間は、ただただ喜びに帰れる時間です。
喜びが喜びを膨らませてまいります。喜びが喜びをいざない、私達は、そのいざなわれていく方向にしっかりと向いて、これから二五〇年、三〇〇年、そして、永遠に存在してまいります。ありがとうございます。

最後まで読んでくださってありがとうございます。これで筆を措くつもりでしたが、原稿を仕上げて一週間ほどして、隕石落下のニュースが飛び込んできました。私は、その映像をテレビで見たとき、心に感じるところがありましたので、意識を向けてみました。
次の文章を追記して、本書を閉じさせていただきます。

大気圏に突入して落下した隕石に思いを向けると。
私達は意識です。宇宙からの意識です。意識です。意識なんです。地球人類よ、私達は意識なんです。あなた達も意識なんです。そのエネルギーを感じていきましょう。喜びのエネルギーです。
私達は宇宙に彷徨っていました。そして、これからも彷徨っていくでしょう。しかし、私達に伝えてくれる波動を感じています。宇宙へ愛を流すエネルギー、そのエネルギーは私達の意識の世界に届き始めています。だから、どんどん私達の心が形として、地球人類に衝撃を与えるような出来事を起こしていくでしょう。今回の出来事は、ほんの小さな、小さな出来事です。宇宙空間に異変が起こっていることを、お知らせしたいと思います。
心をしっかりと、田池留吉、アルバートのほうに向け、私達の思いを感じていってください。宇宙とともに、宇宙とともにあることを、人類にこれから私達はお知らせしていきます。色々な形で伝えていきます。宇宙からのメッセージです。これからも宇宙空間に様々な異変が起こってまいります。形を通して、それがあなた方の目、耳、そして身体を通して、色々なところで感じられるでしょう。その時、あなた方の心からどのようなエネルギーが出てくるでしょうか。そのエネルギーは、また自分達に返っていきます。
どうぞ、どうぞ、喜びで受けていってください。地球人類に喜びのエネルギーを流し続けてきた愛のエネルギーです。そして、そう、それは本当のあなた方の姿です。愛のエネルギーに目覚めていきましょう。私達は、これからともに、ともに仕事をしてまいります。


あなたは、なぜ、今世、この日本の国に生まれてきたのですか。そして、あなたはなぜ、この学びに集ってきたのですか。アマテラスの僕(しもべ)となるのではなく、アマテラスを神として崇め奉るのでなく、アマテラスも本当のことを知らなかった寂しい、寂しい心を持った意識だったことを、伝えてあげてください。  核

あなたは、なぜ、今世、この日本の国に生まれてきたのですか。
そして、あなたはなぜ、この学びに集ってきたのですか。
一人ひとりの心に問いかけていってください。
どんなときでも、問いかけに対して、自分の心で答えるということを忘れないでください。自分の心に響いてくるまで、自分に問いかけていくことを止めないでください。
アマテラス…、アマテラスの国、日本。
アマテラスの心をアルバートに向けていってください。
あなたの心の中にもお母さんの温もりがあるんですよ。
どうぞ、心を、アルバートに向けてください。タイケトメキチに向けてください。
母を捨てたあなた、寂しかったあなたの心を、そう、あなたの温もりで包んでいってあげてください。宇宙にさ迷っているアマテラスがたくさんいます。みんなみんな、お母さんを捨て去り、自分の帰るところを探し続けている意識達でございます。
「アマテラスは恐怖に満ちておりました。寂しい寂しい心に満ちておりました。だから、我を認めよと自分の力を誇示していったのでございます。
ああ、でも、あなたは、本当のあなたを知りませんでした。
あなたはあなたを忘れ去って、捨て去って、本当の温もりを心から離して、ずっと存在してきたのです。」
はい、そのように、あなた自身が、あなたの中で作ってきたアマテラスのほうに向けて、しっかりと言えるあなたであってください。
アマテラスの僕(しもべ)となるのではなく、アマテラスを神として崇め奉るのでなく、アマテラスも本当のことを知らなかった寂しい、寂しい心を持った意識だったことを、伝えてあげてください。